2006/01/30

Kazz先生の掲示板に宣伝しちゃいました。

懇意にしていただいているKazz先生の掲示板
http://www2.ezbbs.net/12/kazz/
に、このblogを宣伝しちゃいました。
先生の掲示板ともどもよろしくお願いします。

戦略的な問題解決とは

品質工学の目指す技術開発は、戦略的だという。
これは以下のドラッカーの言葉を引けばその意味するところが理解できる。

「個々の問題としてでなく、戦略的に、一般論的な問題として考えなければならない」

つまり、品質問題というのはその製品や使われ方、環境などによって表層に起こる現象はさまざまである。
これを個別に解決するヒーローは、職場では重宝がられるのかもしれないが、それではいけないと言っているのである。
さまざまな品質問題の原因には共通性がある場合が多いということで、技術の場合でいえばすべて「機能性」(技術の働き)のまずさから来ているものであるということだ。
機能性が悪く、表層の品質特性のばらつきが大きいと、全数検査を行うため工数が増えたり、熟練者による調整作業が必要だったり、チャンピオンデータへの難しい調整が必要だったりする。もちろんこれは工程内だけにとどまらず、工程内の許容差に入ったと思って出荷したものが、市場環境ストレスで不具合となり、大きな損失を発生させる。

ドラッカーの指摘はまっとうだが、田口博士はそれを技術開発の分野で考えて、基本機能やSN比という具体的方法で解決策を提言している。我々がパラメータ設計を通り一遍トレースするのはそれほど難しいことではないかもしれないが、最初にこのような田口の評価システムを思いつくというのは、並大抵のことではない。パラメータ設計が一設計手法のように誤解されていることが残念である。

2006/01/28

思い込みからの脱却

情報は集めるものではなく選別するものである。
この情報化時代には、すでにいかにも古臭い文句に聞こえるが、これを自戒するのは相当難しい。
要は、「思い込み」というのが、やみくもに情報を集めている者にとっては厄介なのである。
(もちろんここで言う「やみくもに情報を集めている者」とは一因子実験や因果関係の追及を無計画に行っている者のことである)。
いや、自分には思い込みなどない、客観的事実に基づいて判断している、という技術者、研究者もいるだろう。では、以下を自問自答してほしい。

1)自分の認識や予測を裏付ける結果に注意がいく。
2)その使い方が普通だと思い込む。
3)最初に観察したもの、あるいは最新のものをより信頼する。
4)たまたま知っている人(権威)の意見を重視する。
5)大きな問題にはそれなりに大きな原因があるはずだと考える。
(出展「ソフトウェアテスト293の鉄則(Cem Kaner他)」より抜粋)

「思い込み」は誰にでもある。大切なことは、まず思い込みについて学び、気づくことである。
あとは訓練次第ということであるが、こと技術開発に関しては、品質工学における実験結果は、技術者本人の能力や浅はかさを突きつけるよい教師になるのではないか。強制的で均質な直交表による実験の組み合わせや、定量化されたものさし、結果としてのばらつきであるノイズ・・・随所にそのヒントが隠されている。

当て物の技術開発

開発や設計というのは、規格値に入ったか入らなかったという当て物ではなく、限られたリソースと能力の中でいかに良い技術(この指標については品質工学を知っている読者なら説明は必要ないだろう)を見出すかという「技」である。
下流の工程や市場という、およそ予測不可能なものを対象として、制御因子の水準の組み合わせによりいかにノイズからの影響を抑え、機能の働きを良くするかという「操作」の技である。
いかにも自分は崇高な技術をやっているという者でも、その実はほとんど当て物に近いようなことをやっている輩もいる。いろいろ時間をかけて因果関係を調べたりしてやっているが、これは結局「当て方」を研究しているのである。品質工学は当て方ではなく「やり方」を研究することによって、限られたリソースと能力の中でいかに良い技術を見出そうとしているのである。
新しい技術開発を行うときに、前回の技術開発の「やり方」を反省して、次に生かしているというような人はどれくらいいるだろうか(固有技術の蓄積の話ではない)。そういうことに気がつかないひとがあまりに多すぎる。
これは「できない」というより「知らない」と言ったほうがよいのかもしれない。

技術屋仕事の秘伝?

技術屋個人の仕事に秘伝があるとすれば、それは自分の環境と能力の限界を知ることである。
品質工学をやるにしても、これから起こりうるいろいろな不測事態の多くを頭に描き、それらの対処方法を決めておくべきである。
ところが、昨日今日品質工学を始めたような人が、その道の人なら常識というようなことも調べず、その技術(製品)の使われ方も知らずに、本に載っている通り一遍のやりかたを鵜呑みにして、いきなり実物製品や量産ラインを使った大規模な直交実験をやったりする。その勇敢さ(?)は驚くべきことで、とうてい私の考えの及ぶところではない。
何か結果を予測して実験するというのは一種の「技」であり、世の中の「芸事」と同じなのではないだろうか。結局は地味な勉強と実践での経験の積み重ねなのである。
自分が本当に身に着けたと言える品質工学技法(なにも哲学でなくてよい)だけを控えめに活用しながら成果を出していくのが、技術屋仕事というものではないだろうか。
技術者として「志」は必要だが、昨日までできなかったことが、何か真似事ですべて解決するという僥倖を夢見るのは禁物である。

2006/01/26

企業の本当の価値と時価(株価)

品質工学では「社会的損失の総和の最小化」を目指している。
今回は、ホリエモンの事件についてこれを考えてみる。

マスコミは一時代を賑わせた人物の凋落をゴシップ的に騒ぎたてているだけのように見える。
一企業の金儲け主義の是非などは価値観の問題でどうでもいいことだ。
極論すれば、今回の事件では、QE的にはなにも社会的損失は与えていない。
ただ、高く買った人/売った人、安く買った人/売った人、手数料を払った人/受け取った人・・・がいるだけである。
知らざるものが損をするという市場経済主義のありのままの姿だけだ。
金融経済では社会の生産性はプラスマイナスゼロなのである。
(泥棒も社会的損失はゼロ、というジョークまである)。

実際に株式投資をやっている当事者なら当然分かっていることだと思うのだが、株価(時価相場)は実際の価値を表しているわけではなく、単なる投資家の「期待」にすぎない。
株価は「期待」は目に見えないものを相手にしている。
株価が半分になったからといって、その会社としての実際の戦力やリソースがすぐ半分になるわけではない(株価は信用力だから長期的な影響はある)。
「実際の価値」と「時価」との落差(歪み)はあって当然のもので、そのこと自体は問題視される類のものではない。
プロのトレーダならむしろ、時価の歪みは投資のチャンスになるものだ(アービトラージなどの手法がそれだ)。
今回のような事件で、粉飾決算をした会社(まだライブドアの有罪が確定していないので一般論とする)が人為的に「価値」と株の「時価相場」との落差を作ろうとしたのがルール違反なのは当然としても、日本の市場や株式、会計システムが透明性とか、公正さの部分でまだまだ未成熟で、ここまで野放しにしてきたことこそ問題だったということだ。
これが「実際に見えないもの=コト」の本質なのだと思う。

今回の事件による真の損失は何か。それは株式などの市場に与えたインパクトが最大の損失なのだろう。時価が下がったからではなく、こんな状況では投資家が逃げてしまいかねない。日本の景気回復ももう少しかかることだろう(景気は設備投資や個人消費などの「期待」なのだ」から)。

田口玄一博士は和製ドラッカー

品質工学を学べば学ぶほど、またP.F.ドラッカーを読めば読むほど、田口博士の言っていることは、ドラッカーのそれに通じるものがある。田口博士がドラッカーの亜流というのではない。ドラッカーはいわゆる経営、マネージメントの世界に新しい哲学を提言したが、田口博士はその枠組を踏襲しながらも、技術開発やMOTという分野で「具体的な解決策」とともにそれを提示したところにその凄さがある。
ドラッカーの「今日の問題の解決のためにヒーローが活躍するのではなく、真に劇的なことは明日への決定がなされることである」との一言は、まさにタグチフィロソフィーの品質に対する前始末の考え方と一致する。ドラッカーとタグチの言葉にはその意味するところに共通点が多く興味深い。今後このBlogでも紹介していきたいと思う。