2009/09/29

温故知新「品質の評価」より

 田口玄一博士らによって記された「品質の評価」(日本規格協会、1972)を読むと、まだ品質工学やタグチメソッドという言葉は出てこないが、タグチフィロソフィを感じさせる記述が随所に見られ興味深い。特にツール面ではなく、品質や生産に関する考え方の部分で、そのスタンスが37年前の著書と現在でまったく変わっていないことにまず驚かされる。

 7章の「品質と生産性」から引用しよう。「われわれは全体の豊かさの増加と個々の利益の増加の間に矛盾のない方法に依存しなければならない。真の生産性の向上は創造のみから獲得される。」 経営者が技術者が座右の銘とすべき至言である。ヘッジファンドは論外としても、われわれ製造業も、一定のマーケットのシェアを取り合ったり、社会コスト(故障などで迷惑をかける)より工程能力の問題や製造品質(つまり社内コスト)を優先したり、ということがおこりがちである。つまり、マーケットを創造すること、機能性や工程能力を改善(その前に合理的な許容差が必要であるが)することによらなければ、ゼロサムの食い合いやトレードオフによらない真の生産性は実現されない。ミクロに見れば社内のコスト改善も重要であるが、それが部下や他人の労働の強化(自由の束縛)によってなされるのも同様の理由で、「不当な管理概念(本文より)」である。

 また、「明日への発展」の項では以下のように述べられている。
「研究・開発での利益率が比較的小さくても、同業他社がそのゆとりを賃金などへのみ振り向けていた場合より、はるかに効率的に生産の場への還元が期待できるのである。(中略)企業がゆとりをつくり出し、このような将来問題への投資を行うか否かというわずかの経営姿勢の差がその将来を決定付けていることを認識しておかなければならない。(中略)今日の繁栄を誇る企業を参考にする場合には、それをもたらした過去のありかたを透視せねばならない。」
 企業はまずゆとりを作り出しそれを研究開発やそのための教育など、明日への発展のために投資することが重要である、というのである。今ゆとりがない、どうすればゆとりができるのか、というのは愚問であろう。まず、ゆとりが必要であると思って(コミットして)行動するべきだ、とかの松下幸之助も言っている。

 本書「品質の評価」では公害の話題もいち早く論じている。公害は禁止するべきではなく(理由は企業の自由選択を制限して自由競争のよい面をつみとってしまうから)、また補償を適当な方法で支払うべきだとしている。最近になって国際問題として排出権やその売買などが話題にされるようになってきたが、「企業や個人が自分の行動は自分で決定する」というあたりまえの全体にたった慧眼というべきだろう。

2009/09/21

【附中36回生】よかったらここに書き込んでいってください!


 2009年9月20日、発起人の金ちゃんのおかげで4年ぶりの同窓会が開かれました。15時から校舎見学、17時から懇親会、あとは終電まで飲み・・・と久々にみなさんの顔が見られ、本当に楽しい時間でした。

 昨日撮った写真や動画がいっぱいあるので、どこか専用のページにアップしたいですね。

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またみんなで会いましょう!(^_^)(^_^)(^_^)