2010/11/28

来客で赤ワイン2本空け


 昨日は大学時代の友人のNくん夫妻のお子さん1歳のMちゃんのお披露目で、うちに来てくれました。料理は手前から、生ハム・バジル・モッツァレラチーズのパニーニ、えび・アボカド・きゅうりの生春巻き(スイートチリソースで)、焼豚・白髪ねぎ・きゅうりの生春巻き(甜麺醤で)、タンドリーチキン風からあげ、ラタトィユ。

 ワインは、1本目はフランスのシャトー・オート・ガリーヌ・ミネルヴォワ2008、2本目はスペインのアルトス・デル・カブリエル・ティント2007。そのあとスコッチまで飲んで・・・(@∀@;)

 いつもお世話になる京橋ワイン(http://www.kbwine.com/)で、6本4980円というお値打ちセットで、いずれもおいしくいただきました。

【今日の言葉071】

ひとりでは多すぎる。ひとりではすべてを奪ってしまう。
(外山滋比古「思考の整理学」より米国女流作家ウィル・ギャザーの言葉)

 この言葉の「ひとり」とは恋人のこと。相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくなって、すべての秩序を乱してしまう、というのである。ひとつだけを信じ込むと、ほかのものが見えなくなってしまう。いくつかの筋とそれぞれにかかわりをもって生きてこそ、やがて網がしぼられ、ライフワークのような収穫期を迎えることができる。

2010/11/15

【今日の言葉070】

人間だけが「そうなりたい」と願うことができ、実際にそれに近づける。(中略)できることなら、自分を利するだけでなく、社会に貢献できるものであればなおさら結構です。そうすると、不思議なことにその志に共感して必ず手をさしのべてくれる人が現れます。
(中谷巌「プロになるならこれをやれ!」)

2010/11/14

損失関数考(2)

 損失関数を活用する上での課題を改めてまとめておくことは今後の議論や研究の指針になるだろう。一部解決案が提示されているものも含めて記しておく。

(1)損失関数の横軸となる物理量(主たる品質特性)をいかに設定するか。
   さらに、1つの品質特性で複雑な製品の社会的損失が推定できないとすれば、複数の品質特性による損失をいかに総合するか、ということ。

(2)その品質特性の機能限界(LD50)をどのように決めるのかということ。
   品質工学では「新しいシステムの創造」の重要性を言っているので、過去に市場実績のない製品のLD50(お客の感じ方)をいかに事前評価すべきかということ。

(3)機能限界を超えたときの平均社会的損失A0をどのように見積もるのか。
   クレーム費用の何倍、といったような経験式の活用も考えられるが、ここに概算が許されるのであれば、テイラー展開する前の損失関数の式の値も概算で求められることになるのではないか。

(4)安全係数を取った上での許容差に入っているものでも、損失を発生するということをいかに理解・運用してもらうか。

(5)損失関数によるコストのバランスはいわば、世代や立場の違いによる損失の分担、トレードオフである。部門全体(外注や部品メーカも含めて)による理解、納得が必要である。
   将来や他人とコストをバランスできるという考え方は、ある種の全体主義的な社会モデルである。利害が交錯する合議制ではほとんど不可能。「トップのリーダーシップ」というのは、言うは易し・・・。

(6)現在と将来の価値の違いや、人間の行動における動機付けの影響などの経済学の初歩的な条件が考慮されておらず、現実に適用したときに、いきおいベテランの皮膚感覚と合わず、運用上の齟齬を生じる可能性があること。

 とにかくいい技術を開発すれば社会損失は減るのだから、と技術開発に邁進するのも1つのいき方だが、損失関数が許容差設計やオンラインQEなどのさまざまな局面で関連している以上、このような課題について考えるのは無駄ではないと思う。

損失関数考(1)

 1999年に品質工学に出会ったときに真っ先に衝撃を受けたのが損失関数の考え方(技術と経済の接点)であった。損失関数が提言されて(例えば1966年の「標準化と品質管理」誌に登場)から数10年たつが、その基本的な考え方が田口博士から提言されて以来、フォロワーによって多数実践されたものの、損失関数の妥当性が議論されたことは少ないではないかと思う。

 下名は損失関数による推定の妥当性を理屈では納得しており、有用性もあると考えている一人だけれども、同時に、現実の社会損失との照合があって初めて証明されると考えるものである。事実による仮説の検証は科学の基本である。品質工学自身を理想機能に近づけるためには、問題意識と科学的検証が必要である。

 ここで「品質工学は科学ではない」というあり得そうな意見に先回りしておく。品質工学の設計哲学が科学的アプローチかどうかということと、品質工学が仮説している内容を実証するためのアプローチが科学的かどうかということは全く別の話である。今は後者の話をしている。品質工学における技術評価の話と、品質工学という考え方をメタに評価しようする話を混同した議論が多いのは残念である。

 巷の事例を見てみると、アプリオリに損失関数が正しいと信じて、それでSN比やコストを最適化したら損失関数でこれだけ助かりました、ということしか書かれていない。「ただ信じて使ってみたら、結果がよかった」というのでもよいと思うのだが、その場合の「よかった」とは実際に現実の社会的損失を計測した上での話と考えてよいのだろうか。それも、損失関数を使わなかった場合と比較した上でアドバンテージがあったという話と考えてよいのだろうか。こういうエッセンシャルな部分は論文にはほとんど書かれないことに対して、下名を含めた後発の研究者は、なんとなく腑に落ちない感じがしている。

【今日の言葉069】

どのような評価をすれば、市場密着型の開発を効率よく達成できるようになるのかという、開発用の技術を先行開発しておくことだと考えます。現状のような実験に配属されて、ただ製品を調べるだけのの仕事をしてきた実験屋とでは、技術的なものの考え方に端的な差がついてしまうのです。
(上野憲三:品質工学,4,4,pp.30-35)

2010/11/10

【今日の言葉068】

社会や国家に対して深く考え、その上で自分の人生を見つめることなしに、一流のプロになることはできない。
(中谷巌「プロになるならこれをやれ!」)

「実験計画法第3版」と対訳「System Of Experimental Design」

 「実験計画法第3版」(以下、DOE-V3)につづき、その対訳である「System Of Experimental Design」(以下SED)を古本で入手した。

 内容は全く同じで、ほとんど意訳を含まず、田口博士のニュアンスを残す意味であろうか、1文節ごとの逐語訳になっている。もちろん、日本語において言葉足らずの(省略されている)ところは英文では文意を崩さないように文法に則った補完がなされている。その点、原文の回りくどい表現も、そのまま回りくどく翻訳されている。

 翻訳者はTQCの大家 Don Clausing博士によるものなので、ネイティブチェックは万全である。品質工学の英語表現を学ぶ好書といえる。

 SEDを読んで(自分の実力で)意味が取れない部分があっても、DOE-V3に対応する日本語の文章に戻って理解することができる。また、DOE-V3に記載されている日本語の側からみて、「こういう時に英語ではどのように表現するのだろうか」という答えを、SEDで辞書的に対応付けて調べることができるので、大変便利である。いわゆる洋書の和訳とかその逆は、意訳や内容の省略を多く含んでおりこのような使い方はできない。例を挙げよう。

DOE-V3(p.615):「式(22.22)の分母のβ^2は、式(22.19)のβ~hatの値を2乗して推定するとよいと思われる。しかしながら、式(22.19)の2乗β~hat^2は、β^2の少し過大な推定になる。」

SED(p.630):"It would seem advisable to estimate β^2 in the denominator of equation (22.22) by squaring the value of β~hat in equation (22.19). However, the squared β~hat of equation (22.19) is a somehow exxcessive estimate of β^2."

「~してよいと思われる(It would seem advisable to~)」、「少し過大な推定(a somehow exxcessive estimate)」など、原文のニュアンスを逃さない、ニクイ逐語訳になっている。もちろん、「分母」を通貨切り下げのデノミと同語源の「denominator」というのか、など役に立つ語や表現を知ることも多い。このセンテンスなどは、暗誦してそのままSN比のディスカッションに使えそうである。

DOE-V3(p.657):「目的特性のとる値が1つしかない場合」
SED(p.674):"the case where the values which desired characteristic takes are only 0 or 1"

これは逆に日本語の「値が1つしかない」ではほぼ意味が不明なところを、英語なら逆にすっきりと意味が理解できる。「値をとる」というときの「とる」はtakeでよいことも分かる(意外とこういう簡単な動詞とか前置詞は迷いますよね~)。

品質工学関係の英語を実際に使われている表現で学びたい、という方にはお勧めである。