2020/03/09

新コロナの全数PCR検査は必要?

統計を生業としているものの端くれとして、PCR検査の感度(陽性の人を正しく陽性と判断できる率)と特異度(陰性の人を正しく陰性と判断できる率)の値は気になっていた。
リンク先に分かりやすい解説がある。
要するに、陽性と誤判断された陰性の人は不当に隔離されて人権の問題が生じるし、陰性と誤判断された陽性の人は無罪放免と感染に無自覚なまま市中に放たれるわけだ。
ちなみに、記事で紹介されている感度はよく見積もって0.7(0.4という数字もある)、特異度は0.9とのことだ。
仮に国内人口を1億人とし、真の感染率が1/10000とすると(保菌しているだけでは感染とは言わず、肺などの体内に入った場合感染というそうです)、国民10000人が実際に感染してあることになる。
ここで全数PCR検査を実施したらどうなるか?
10000人のうち7000人は正しく陽性として隔離できるが、3000人は見逃される。
もっと大きな問題は、陰性である約1億人の人のうち1000万人もの人が間違って陽性と判断されることになる(こうなると個別隔離はもはや不可能で医療機関の機能は崩壊する)。
半島にある某国の感染者数が異常に多いのは検査数が多いためである。この中には擬陽性も多数含まれていることだろう。
つまり単体での全数PCR検査は対策ができない、変わらないという点で無意味であるだけでなく、パニックを引き起こすなど有害ということだ。
我々個人がやるべきことは、自覚症状や渡航歴の有無にかかわらず、各自でできる感染予防・拡大防止をすることだ。不要不急の外出や接触を控え、手洗い、咳エチケットなどを徹底するという、当たり前のことを当たり前にやり、ワクチン完成までの時間稼ぎをするということである。若い人や健康な人は発症しても軽微との報告もあるので重篤化しない限り自宅療養を基本として医療機関に無用な負荷をかけないことである。
とはいえ、我々は日常生活や経済活動を止めることはできない。いったん一つの方向に動き出すとなんでも禁止、なんでも自粛となり、個別判断がためらわれたり、英断する人を批判したりする全体主義的なムードになるのが日本国民の弱点である(もちろん高度成長期のように良い方向に向かうときもある)。
組織の長やマネジメント層は深く考えずに保身の策を採るのではなく、「責任」を持って行動基準を判断することが求められている(このあたりの判断基準として品質工学の損失関数の考え方が役立つのだが、またの機会に)。
高い給料の方、守るべき人を抱えている方はその分の仕事(判断)をしましょう。
権力には義務がともなう、Noblesse Obligeである。



わかりやすい品質工学(タグチメソッド)のコンサル・研修・セミナー・講演のことなら
株式会社ジェダイト