第2章 研究開発とは、本質的に「賭け」である
― 不確実な未来に、企業はどう資源を投じるべきか
「確実に成功する研究開発」は存在しない
新しい製品や技術の研究開発を始めるとき、経営者や技術者はしばしば「成功確率をもっと高めてから判断したい」と考える。
その気持ちはよく分かる。
研究開発には金がかかる。設備も必要になる。人材も投入しなければならない。数年間取り組んだ末に事業にならなければ、会社にとって大きな損失になる。
だから、できるだけ確実なテーマを選びたい。
しかし、ここには根本的な矛盾がある。
もし成功がほぼ確実に分かっているのであれば、それはもはや「研究」ではない場合が多い。技術的にも市場的にも答えが見えているなら、競合企業にも同じことが見えている可能性が高い。
大きな事業機会が生まれるのは、多くの場合、その先に何があるかまだ十分に分かっていない領域である。
新しい材料、新しい製造方法、新しいソフトウェア、新しい顧客価値、新しいビジネスモデル。そのどれにも不確実性がある。
技術が成立するかどうか分からない。成立しても量産できるか分からない。量産できても顧客が買うか分からない。顧客が買っても十分な利益が出るか分からない。
研究開発とは、こうした不確実性を抱えたまま、それでも未来に資源を投じる行為なのである。
この意味では、研究開発は本質的に「賭け」である。
もちろん、競馬やカジノと研究開発が同じだと言いたいわけではない。
重要なのは、「結果が確定していない未来に、現在の資源を投入する」という構造が共通しているということである。
企業はすでに毎日のように「賭け」をしている
ギャンブルという言葉には、どうしても無謀、浪費、偶然任せといった否定的なイメージがつきまとう。
そのため経営の世界では、「われわれはギャンブルをしているのではない」と言いたくなる。
しかし現実には、企業は毎日のように未来へ賭けている。
新しい工場を建てる。新製品の開発に数億円を投入する。若い技術者を特定分野の専門家として育成する。スタートアップと共同研究を始める。AIや自動化設備を導入する。新しい市場へ営業拠点を置く。
これらはすべて、「将来、投入した資源以上の価値が返ってくる」という仮説に基づく投資である。
将来が確実なら投資判断は簡単だ。
しかし実際には、未来は確定していない。
だから経営とは、ある意味では無数の不確実な選択肢から、「どこに会社の資源を置くか」を決め続ける仕事である。
問題なのは、賭けをすることではない。
良い賭けと悪い賭けを区別できるかどうかである。
これは研究開発でもまったく同じだ。
「無謀な賭け」と「合理的な賭け」は何が違うのか
では、研究開発をギャンブルになぞらえるなら、無謀なギャンブルと優れた研究開発は何が違うのだろうか。
最大の違いは、結果ではない。
成功したから良い判断だったとは限らないし、失敗したから悪い判断だったとも限らない。
たとえば成功確率が10%しかなく、成功してもわずかな利益しか得られないテーマに巨額の投資をしたとする。
たまたま成功すれば、担当者は英雄になるかもしれない。
しかし、それは良い意思決定だったとは言えない。
逆に、成功確率が60%あり、成功すれば大きな市場を獲得でき、失敗した場合の損失も限定されているテーマがあったとする。
十分な検討のうえで投資した結果、たまたま失敗したとしても、その判断そのものが間違っていたとは限らない。
この区別は非常に重要である。
私たちは結果を見た後で、過去の判断を評価してしまいがちだからだ。
成功企業を見ると、「あの経営者は先見の明があった」と言う。失敗すると、「最初から無謀だった」と言う。
しかし、その時点で入手できた情報を使って、どのような判断をしたのかを見なければ、本当の意思決定の質は評価できない。
DQLに必要なのも、この視点である。
結果論ではなく、
その時点で、どの選択肢にどれだけの価値が期待できたのか
を考える力である。
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