2026/08/30

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)⑥

 3.新規テーマを発見する方法

3-1.テーマ探索の基本構造

ここまで、新規研究開発テーマを考える際には、製品そのものではなく、その背後にある技術資産や、顧客が現場で抱えている損失を見るべきだと述べてきました。

では、実際にはどのような順序でテーマを組み立てればよいのでしょうか。

基本となる流れは、次のように整理できます。

生産・人材・規制の変化
製造現場の損失
必要な機能・情報
自社技術との接点
研究開発テーマ
機器・ソフト・サービス


一見すると当たり前の流れですが、研究開発テーマの議論では、この順番が逆になっていることが少なくありません。

最初に「技術」を置かない

たとえば、「生成AIが流行しているから、生成AIを使ったFA機器を考えよう」というテーマ設定があります。

これ自体が悪いわけではありません。しかし、この段階では顧客にとっての価値がまだ見えていません。

そこで、出発点を一つ前に戻します。

たとえば製造現場で、

「熟練保全員が減っている」
「設備停止時に若手では原因を特定できない」

という変化が起きているとします。

ここから発生する損失は、設備停止時間の長期化です。

すると必要になる機能は、

「異常発生時に原因候補を絞り込む」
「過去の類似故障を検索する」
「復旧手順を作業者に提示する」

といったものになります。

ここまで来て初めて、自社が持つHMIPLCログ、設備データ、保守履歴、AIなどとの接点を考えます。

その結果、

「設備異常時に、過去の故障履歴と制御ログから原因候補と復旧手順を提示する保全支援システム」

といった研究開発テーマが見えてきます。

生成AIは、その中で使う技術の一つにすぎません。

「変化」から「損失」へ落とす

テーマ探索で重要なのは、社会や市場の変化をそのままテーマにしないことです。

「人手不足」
「脱炭素」
DX
「サイバーセキュリティ」

こうした言葉だけでは、範囲が広すぎます。

たとえば人手不足であれば、

人が足りないために何が起きているのか。

段取り替えに時間がかかる。
復旧できる人が限られる。
検査工程に人を配置できない。
設備の巡回点検が減る。

といった具体的な損失まで落とします。

脱炭素も同じです。

「省エネルギー対応」というだけではテーマになりません。

どの設備で、どのエネルギーが、なぜ無駄になっているのか。

待機中のモーターかもしれません。
エア漏れかもしれません。
必要以上の加熱かもしれません。

損失を具体化すると、必要なセンシングや制御が見えてきます。

損失から「必要な機能」を考える

次に、いきなり製品へ進まないことも大切です。

「設備停止を減らしたい」から「新しいセンサーを作ろう」と飛ぶのではありません。

その前に、

顧客は何が分かれば、あるいは何ができれば、その損失を減らせるのか

を考えます。

たとえば設備停止であれば、

異常の予兆が分かる。
劣化部品が分かる。
残存寿命が分かる。
故障原因を短時間で特定できる。

といった機能が考えられます。

ここではまだ、センサーなのかPLCなのかクラウドなのかを決めません。

この「機能で考える」という一段を入れることで、解決手段の幅が広がります。

そこではじめて自社技術を重ねる

必要な機能が明確になったら、自社の技術資産を重ねます。

たとえば、

振動計測が得意。
モーター制御データを取得できる。
PLC
内部の制御状態を詳細に把握できる。
大量の設置機器を持っている。
修理履歴を蓄積している。

といった強みです。

すると、

「一般的なAI会社でもできるテーマ」と、
「自社だからこそできるテーマ」

を分けられます。

この違いは非常に重要です。

新規研究開発は、単に市場が大きいテーマを選べばよいわけではありません。

市場ニーズがあっても、自社に優位性がなければ価格競争になりやすい。

逆に、自社技術が優れていても顧客損失が小さければ、事業にはなりにくい。

顧客の困りごとと、自社固有の技術資産が重なる場所を探す必要があります。

研究テーマと商品を分けて考える

もう一つ重要なのは、「研究開発テーマ」と「商品」を同じものだと考えないことです。

たとえば研究テーマが、

「加工状態の変化をモーター電流から検出する」

だったとします。

この成果は、最終的にはさまざまな形になり得ます。

サーボアンプの新機能かもしれません。
PLC
のソフトウェア機能かもしれません。
設備監視用エッジ端末かもしれません。
月額課金の診断サービスかもしれません。

つまり、

研究開発テーマの出口は、一つの機器に限定する必要がない

ということです。

研究段階では「どんな機能を実現するか」を中心に置き、商品化段階で最適な提供形態を考えた方が、テーマの可能性を狭めずに済みます。

一本の線でつながるテーマは強い

良い研究開発テーマは、説明すると一本の線でつながります。

「なぜ今それが必要なのか」
「顧客は何に困っているのか」
「何ができれば解決するのか」
「なぜ自社がやるのか」
「最終的に何として提供するのか」

この五つに無理なく答えられるテーマは、研究開発だけでなく、経営会議でも説明しやすいテーマです。

逆に、この途中に飛躍がある場合は注意が必要です。

AIが伸びているからAIテーマをやる」
「競合が始めたからクラウドをやる」

というテーマは、その典型です。

新規テーマ探索とは、未来予測のコンテストではありません。

環境変化と顧客損失を、自社技術を通じて事業機会へ変換する作業です。

この基本構造を押さえておけば、流行技術に振り回されにくくなります。

では、その最初の材料となる「テーマの種」は、具体的にどこから拾えばよいのでしょうか。

顧客の声だけではありません。営業情報、故障履歴、法規制、競合動向、技術ロードマップ、現場観察など、テーマの発生源はいくつもあります。



次回は、「3-2.テーマの発生源」として、研究開発テーマの候補をどこから見つけるかを整理していきます。


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2026/08/29

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)⑤

 2-3.製品起点から顧客起点へ

新規研究開発テーマを考える会議では、つい「次は何を作るか」という話から始まりがちです。

AIを搭載したPLCはどうか」
「もっと高性能なセンサーはできないか」
「クラウドサービスを始めるべきではないか」

どれも間違いではありません。けれど、この考え方だけでは、研究開発テーマが技術者側の都合に寄りやすくなります。

そこで一度、出発点を変えてみます。

何を作るかではなく、顧客が何を失っているかから考える。

これが、今回のテーマです。

顧客は「高性能」が欲しいわけではない

たとえば、あるPLCAI機能を搭載するとします。

技術的には面白いテーマです。ところが顧客から見れば、「AIが載っていること」そのものに価値があるわけではありません。

顧客が困っているのは、

「条件が少しずつずれて、不良率が上がる」
「原因が分かるまでに何時間もかかる」
「熟練者しか異常に気付けない」

といった問題です。

であれば、研究テーマは「AI搭載PLC」ではなく、

「品質変動を制御条件から自動検出する」

と置いた方がよい。

こうすると、必要な技術を後から考えられます。AIが必要かもしれませんし、統計的な変化点検出で十分かもしれません。PLC内部で処理するのか、エッジコンピュータを使うのかも、テーマを検討する中で決めればよいのです。

最初から手段を固定しないことが重要です。

「新型センサー」では損失が見えない

センサーでも同じです。

「高精度な新型センサーを開発する」というテーマだけを見ると、精度をどこまで上げるか、応答速度をどうするか、といった議論になります。

しかし実際の現場では、別の問題が起きています。

たとえばセンサーが徐々に劣化しているのに、それに気付かず測定を続けてしまう。結果として良品を不良と判定したり、逆に不良品を見逃したりする。

この場合、顧客が失っているのはセンサー性能ではなく、誤判定による品質損失や停止時間です。

そこでテーマを、

「センサー劣化による誤判定を防止する」

と置き換えてみます。

すると、センサーの自己診断、ドリフト検出、他のセンサーとの比較、校正時期の予測など、複数の解決策が見えてきます。

製品起点では見えなかった研究テーマが出てくるわけです。

サーボ性能も「何秒縮まるか」で考える

サーボモーターやサーボアンプでは、高速応答、高精度、高トルクといった性能指標が重要です。

ただ、新規テーマを考えるときには、

「応答速度を20%向上する」

だけでは少し弱い。

それによって顧客の何が改善するのかを考えます。

たとえば整定時間が短くなれば、1サイクルあたり0.2秒短縮できるかもしれません。1時間あたりの生産数が増え、年間では相当な生産能力向上につながる可能性があります。

すると研究テーマは、

「整定時間を短縮して設備能力を向上する」

となります。

この表現に変えると、サーボ単体だけでなく、制御アルゴリズム、機械剛性、振動抑制、ティーチング方法まで研究対象になってきます。

HMIは「見やすさ」より復旧時間

HMIについても、「大型画面」「高解像度」「新しいUI」といった製品側のテーマだけでは不十分です。

工場では、設備異常が起きたとき、作業者が大量の警報の中から原因を探し、マニュアルを確認し、復旧操作を行っています。

そこで発生している損失は、誤操作や復旧時間です。

であればテーマは、

「誤操作と復旧時間を減らす」

となります。

必要なのは必ずしも新型HMIではありません。

警報の優先順位付け、故障原因の推定、復旧手順のナビゲーション、過去の類似トラブル表示など、ソフトウェア側の研究テーマが重要になるかもしれません。

クラウドも目的ではない

DX関連では特に注意が必要です。

「クラウドサービスを始める」
「設備データをクラウドに上げる」

といったテーマはよくあります。

しかし、クラウドにつながっただけでは顧客価値は生まれません。

たとえば複数工場を持つ企業では、設備保全の判断基準が工場ごとに異なっていることがあります。

A工場では予防交換する。
B
工場では故障するまで使う。
C
工場では熟練保全員の経験で判断する。

このばらつきによって、保全費用や設備停止時間に差が出ているとすれば、

「複数工場の保全判断を標準化する」

ことが顧客価値になります。

クラウドは、そのための手段の一つです。

テーマの名前を変えるだけでも議論は変わる

製品起点と顧客損失起点を並べると、違いがよく分かります。


この二つは、似ているようでかなり違います。

左側は「何を作るか」です。
右側は「何を改善するか」です。

新規研究開発の初期段階では、右側から考えた方が選択肢を広く持てます。

しかも、テーマの価値を評価しやすくなります。

品質変動による損失はいくらか。
設備停止1時間はいくらか。
段取り時間を10分短縮すると年間いくらになるか。
誤操作を半減すると、どれだけ復旧工数が減るか。

こうした問いにつなげられるからです。

研究テーマを「技術的に面白いか」だけで評価するのではなく、顧客が現在負担している損失を、どれだけ減らせるかで見る。

ここまで来ると、新規研究開発テーマと事業テーマの距離がぐっと近くなります。

もちろん、すべての基礎研究を短期的な顧客損失に結びつける必要はありません。しかし、事業化を前提とした研究開発テーマであれば、「この技術で何ができるか」より先に、「誰の、どんな損失を減らすのか」を問い直す価値があります。

では、実際に顧客損失から有望なテーマをどう発見すればよいのでしょうか。

次回からは、「3.新規テーマを発見する方法」**に入り、まず 3-1.テーマ探索の基本構造」として、市場、顧客課題、自社技術をどのように結びつければ研究開発テーマになるのかを整理していきます。

 

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2026/08/28

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)④

 2-2.見落とされやすい戦略資産

前回は、FA機器メーカーが持っているのはPLCやセンサー、サーボ、HMIといった「製品」だけではなく、その背後にある制御、計測、信号処理、通信などの技術資産である、と書きました。

ただし、自社の強みを考えるときには、もう一段広く見る必要があります。

技術一覧表には載っていないものの、実は他社が簡単にはまねできない資産があるからです。

その代表が、長年の納入実績、設置ベース、現場データ、顧客との接点です。

「何台売ったか」ではなく「何台動いているか」

FA機器メーカーにとって、過去の販売実績は単なる売上の履歴ではありません。

何十年にもわたりPLC、センサー、サーボ、HMIなどを販売してきた企業であれば、全国、場合によっては世界中の工場や装置の中で、自社製品が稼働しています。

この「設置ベース」は大きな資産です。

たとえば、新しい設備診断サービスを考える場合、新規参入のIT企業はまず顧客を探し、対象設備を理解し、データを取得できる状態を作るところから始めなければなりません。

一方、既存のFAメーカーには、すでに顧客があり、設備があり、機器がある。

しかも、その機器がどのような装置に組み込まれ、どのような環境で使われているかという知識まで持っていることがあります。

新規研究開発では、この差をもっと意識してよいでしょう。



故障履歴は「過去のトラブル記録」ではない

修理部門やサービス部門には、膨大な故障情報が蓄積されています。

警報コード、故障部位、使用年数、交換部品、使用環境、再発状況などです。

これらは通常、「品質問題への対応記録」や「修理履歴」として扱われています。

しかし見方を変えれば、これは将来の研究テーマの材料です。

たとえば、

「特定の使用条件で電源部の故障が増える」
「ある警報の数週間後に重大停止が起こりやすい」
「特定の部品交換が繰り返される装置には共通条件がある」

といった傾向が見つかれば、予知保全や寿命予測、異常検知のテーマにつながります。

つまり、過去のクレームや修理履歴は、将来の商品企画に使える学習データでもあるのです。

カタログには書けないノウハウがある

もう一つ重要なのが、顧客装置への組込みノウハウです。

FA機器は、それ単独で使われることはほとんどありません。

実際の現場では、センサー、PLC、サーボ、電源、ネットワーク、機械構造などが組み合わされます。

すると、

「この制御周期では安定するが、これ以上速くすると振動が出る」
「この配線だとノイズを拾いやすい」
「この位置にセンサーを置くと温度影響が大きい」
「この装置では加減速条件をこう設定した方が安定する」

といった、現場固有の知識が蓄積されていきます。

これらは論文や特許にはならないかもしれません。しかし、実際の製造現場で機器を安定して動かすという意味では、非常に価値があります。

むしろ、こうした「細かすぎて文書化されにくい知識」こそ、長年FAに関わってきた企業の強みです。

技術を横断できる人も資産である

新規研究開発を考えるとき、技術資産というと特許や設備、ソフトウェアなどを思い浮かべがちです。

しかし、人も重要な資産です。

とくにFA分野では、

制御だけが分かる。
計測だけが分かる。
モーターだけが分かる。

という人よりも、

制御・計測・駆動・通信を横断して、一つのシステムとして考えられる人

が、新しいテーマを生み出すうえで大きな役割を果たします。

設備の異常を診断しようとすれば、センサーだけでは足りません。機械構造、駆動条件、制御ロジック、データ処理まで見る必要があります。

こうした複数領域をつなげられる人材は、外部から簡単に調達できるものではありません。

顧客との「距離の近さ」も競争力になる

FAメーカーには、代理店、装置メーカー、エンドユーザーの工場など、多層的な顧客接点があります。

営業担当者、サービス担当者、アプリケーションエンジニアなどが日常的に現場へ入り込んでいる企業も多いでしょう。

ここには、Web検索や市場調査だけでは得られない情報があります。

「最近こういう相談が増えた」
「この工程だけ人が集まらない」
「設備停止より復旧作業の方が問題になっている」
「データは取れているが誰も見ていない」

こうした小さな変化は、新しい市場の兆候であることがあります。

研究開発部門が顧客の声を直接聞く機会が少ない企業ほど、この情報を意識的に取り込む仕組みが必要です。

「古い体質」に見えるものが強みになることもある

FA業界では、長期供給、旧製品との互換性、修理対応などが重視されます。

一般のIT製品の感覚から見ると、開発スピードを遅くする制約にも見えます。

しかし工場では、設備を10年、20年と使うことも珍しくありません。

「突然サービスが終了しない」
「旧機種との互換性がある」
「故障しても修理できる」

という安心感そのものが商品価値です。

この信用は、短期間で市場参入した企業には簡単に作れません。

新規事業を考えるときも、既存FAメーカーがIT企業と同じ土俵でソフトウェア機能だけを競う必要はありません。

むしろ、長期間使われる設備を知り、その設備を最後まで支えられることを事業モデルに組み込む方が強い場合があります。

IT企業にはない二つの資産

こうして見ると、FAメーカーには多くの戦略資産があります。

その中でも特に重要なのが、

設置ベース
現場データ

の二つです。

どこに、どの機器が、どんな設備に組み込まれ、どのような条件で使われているか。

そして、その設備でどのような故障、警報、修理、交換が発生してきたか。

これらは、FA機器メーカーが長い年月をかけて蓄積してきたものです。

AIやソフトウェアの技術だけを見れば、新興IT企業の方が強いこともあります。

しかし、AIを本当に製造現場で役立てようとすれば、学習させるデータと、結果を解釈する現場知識が必要です。

そこでFAメーカーの蓄積が効いてきます。

新規研究開発テーマを考えるときには、「自社にどんな新技術があるか」だけを見るのではなく、

他社が欲しくても短期間では手に入らないものは何か

という問いを加えてみるべきでしょう。

そこに、新規参入企業とは違う研究開発テーマの入口があります。

そして次に必要になるのが、その資産を「何に使うか」です。

製品起点で「次のPLC」「次のセンサー」を考えるのではなく、顧客が現場で失っているものからテーマを考える。

次回は、「2-3.製品起点から顧客損失起点へ」として、新規研究開発テーマの出発点をどこに置くべきかを考えていきます。


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2026/08/27

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)③

 2.デジタルFA企業の技術資産を再定義する

2-1.保有しているのは「FA機器」だけではない

新規研究開発テーマを考えるとき、多くの企業が最初にやるのは「自社には何があるか」の棚卸しです。

ところが、この棚卸しには一つ落とし穴があります。

PLCメーカーならPLC、センサーメーカーならセンサー、サーボメーカーならサーボ、といった具合に、現在販売している製品の名前で自社の強みを整理してしまうことです。

これでは、これまでの延長線上のテーマしか出てきません。

たとえば「次世代PLC」を考えれば、演算速度を上げる、I/Oを増やす、小型化する、通信機能を強化するといった発想になりやすい。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。しかし、新しい事業領域を探索するのであれば、もう一段深く掘る必要があります。

見るべきなのは製品ではなく、その製品を成立させている技術資産です。



PLCの本当の資産は「箱」ではない

PLCを例に考えてみます。

顧客が購入しているものはPLCという機器ですが、その背後には、リアルタイム制御、シーケンス処理、安全制御、決定論的な演算処理など、多くの技術があります。

さらに言えば、

「決められた時間内に必ず処理を終わらせる」
「異常時にも安全側へ移行する」
「長期間安定して動作する」

といった設計思想やノウハウも蓄積されています。

これらはPLC以外にも使える技術です。

自律搬送機器、ロボット、分散制御システム、エッジコンピューティングなど、新しい製品やサービスに展開できる可能性があります。

センサー企業は「計測技術」を持っている

センサーについても同様です。

製品として見れば、温度センサー、圧力センサー、流量計、変位計、振動センサーなどに分かれます。

しかし技術資産として見れば、

物理量を電気信号へ変換する技術、校正技術、温度補償、ノイズ除去、微小信号処理、異常値判定などが存在します。

つまり、「振動センサーを作れる会社」というより、

ノイズの多い現場から意味のある微小変化を取り出せる会社

と捉えたほうが、技術の応用範囲は広がります。

この言い換えは、新規テーマ探索では意外に重要です。

サーボやHMIにも別の顔がある

サーボモーターやインバータの背後には、モーターそのものだけでなく、電力変換、位置制御、速度制御、トルク制御などの技術があります。

これらを「モーターを動かす技術」とだけ考えるのか、「機械の動きを精密に作り出す技術」と考えるのかで、発想できるテーマは変わります。

HMIも同じです。

表示器を作っている、と考えるだけでは十分ではありません。

実際には、

「設備の状態を人に伝える」
「異常を見逃させない」
「操作ミスを防ぐ」
「複雑な情報から必要な情報だけを提示する」

という技術を持っています。

これは表示技術というより、人と設備のインターフェース設計技術です。

熟練者不足が進む工場では、この技術の価値はむしろ高まる可能性があります。

ネットワーク企業が持っているのは通信だけではない

産業用ネットワークについても、「データを送る技術」とだけ見ると狭すぎます。

機器同士を確実につなぐ。
異なる装置間で時刻を合わせる。
大量のデータを決められた時間内に届ける。
異なるメーカーの機器間で意味を共有する。

この背景には、通信技術だけでなく、時刻同期、機器接続、データモデル、相互運用性に関するノウハウがあります。

工場がデータ中心のシステムへ移行するほど、この資産は重要になります。

「保守サービス」も立派な技術資産である

さらに見落とされやすいのが、保守部門です。

研究開発部門から見ると、保守は製品販売後の業務と考えられがちです。

しかし保守部門には、

どの設備が、どこで、どのように使われているか。
何年目にどんな故障が起きやすいか。
顧客がどんな使い方をしているか。
現場では何に困っているか。

という情報が蓄積されています。

これは、予知保全サービスや設備診断、新しいセンサー、新しい制御機能を考えるうえで非常に価値の高い資産です。

技術研究所にはない情報を、サービス担当者が持っていることも珍しくありません。

製品名を外して考えてみる

そこで自社技術を棚卸しするときには、一度、製品名を消してみることをおすすめします。

たとえば次のように整理します。


こうしてみると、自社が持っているものは「PLC」「センサー」「HMI」という製品群だけではないことが分かります。

むしろ、それらの製品を長年作り続けるなかで蓄積した、制御する、測る、動かす、つなぐ、見せる、診断するといった能力こそが、新規研究開発の材料になります。

新規テーマを考える際には、「今ある製品の次」を考えるだけでは不十分です。

今ある製品を一度分解し、その奥にある技術を取り出して、別の用途と組み合わせ直す。

ここから、従来の製品分類では見えなかったテーマが出てきます。

もっとも、技術資産は技術部門の中にだけあるわけではありません。長年蓄積された設備データ、故障履歴、顧客との接点、さらには「この業界では当たり前」と思っている現場知識の中にも、他社が簡単には手に入れられないものがあります。

次回は、「2-2.見落とされやすい戦略資産」として、技術一覧表には載りにくいものの、新規事業を考えるうえで大きな武器になる資産について考えていきます。

2026/08/25

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)②

 1-2.製造業を取り巻く変化

新規研究開発テーマを考えるとき、まず押さえておきたいのは「技術の進歩」よりも「顧客の工場がどう変わっているか」です。

FA機器メーカーにいると、どうしても新しい通信方式、新しいセンサー、AI、新しい制御技術といったものに目が向きます。しかし、顧客が新しい技術を採用するのは、その技術自体が面白いからではありません。

工場が抱えている問題が変わるから、必要な技術も変わるのです。

その意味で、現在の製造業にはいくつかの大きな変化が同時に起きています。

人が足りない。それ以上に「分かる人」が減っている

もっとも分かりやすい変化は、人手不足です。

ただし製造現場で深刻なのは、単純な人数の不足だけではありません。

設備の音を聞けば異常が分かる。
加工状態を見て条件を微調整できる。
停止した設備を短時間で復旧できる。

こうした熟練者が減っています。

これまで人の経験で補っていたものを、センシング、データ解析、制御、ナビゲーションなどによって支援する必要が出てきました。

設備監視や予知保全が注目される理由もここにあります。

ただし、「振動センサーを付けてAIで異常診断する」と考えただけではテーマとしてはまだ浅い。

本当に問うべきなのは、

熟練者が行っていたどの判断を、どこまで機械やソフトウェアで支援できるか

ということです。

ここまで掘り下げると、研究テーマの姿がかなり変わってきます。

多品種少量化は「止まらない工場」を難しくする

もう一つの変化が、多品種少量生産です。

同じものを長時間作り続ける工場であれば、一度条件を決めれば比較的安定して運転できます。しかし品種が増えれば、段取り替え、条件変更、治具交換、プログラム変更などが頻繁になります。

当然、ミスも起こりやすくなります。

ここでは高速なPLCや高精度なサーボだけでなく、

「品種が変わっても短時間で条件を設定できる」
「誤った設定を設備側で検知する」
「過去の良品条件を自動的に参照する」

といった機能が価値を持つようになります。

つまり、機器単体の性能競争から、変化に強い生産システムをどう作るかという競争への移行です。

「何が起きたか」から「なぜ起きたか」へ

工場では、設備停止、品質異常、電力使用量など、多くのデータが取得されるようになりました。

ところが実際には、データを取っただけで終わっているケースも珍しくありません。

「今月の設備稼働率は93%でした」

と表示されても、それだけでは設備は改善しません。

重要なのは、

「残り7%はなぜ止まったのか」
「どの条件のときに品質異常が増えるのか」
「どの設備、どの工程でエネルギーを無駄に使っているのか」

まで分かることです。

今後のFA機器には、単にデータを収集・表示するだけでなく、原因推定や意思決定支援まで踏み込むことが求められるでしょう。

ITOTの境界が薄くなる

従来、工場内の制御系、いわゆるOTOperational Technology)は、企業のITシステムとは比較的独立していました。

しかし現在は、PLCやセンサーのデータを上位システムに送り、SCADA、生産管理、クラウドサービスなどと接続するケースが増えています。

産業用ネットワークについても、特定メーカーの閉じた世界だけでなく、オープン化や相互運用性が重要になっています。

これはFA機器メーカーにとって大きな変化です。

顧客が評価する対象が「その機器が何をできるか」だけではなく、

他の機器やシステムと、どれだけ自然につながるか

に広がるからです。

AIとデジタルツインは「特別な技術」ではなくなる

AIについても同じことが言えます。

異常検知、品質予測、条件最適化、画像検査、需要予測など、製造現場での利用範囲は広がっています。

さらに、実際の設備や生産ラインをデジタル空間に再現するデジタルツインも、シミュレーション、保全、立上げ支援などへの展開が進んでいます。

もっとも、「AI搭載」や「デジタルツイン対応」と書けば商品になる時代が続くとは思えません。

やがてこれらは、通信機能やデータロギングと同じように、当たり前の機能になっていくでしょう。

だからこそ研究開発では、「AIを使うか」ではなく、AIを使うことで顧客の仕事をどう変えるかを考える必要があります。

セキュリティも「あとから付けるもの」ではない

そして見落としてはいけないのが、サイバーセキュリティです。

工場の設備がネットワークにつながり、ITOTの接続が進めば、それだけ攻撃対象も広がります。

経済産業省は202510月、「半導体デバイス工場におけるOTセキュリティガイドライン」を策定しました。同ガイドラインでは、生産目標の維持、機密情報の保護、半導体品質の維持を守るべき対象とし、国際規格との整合も意識した工場セキュリティ対策を示しています。(経済産業省)

ここからFA機器メーカーが読み取るべきことは明快です。

これからのPLC、産業用PC、ネットワーク機器、HMIなどでは、セキュリティは「上位機種だけに付ける便利な機能」ではありません。

設計、製造、導入、アップデート、保守、廃棄までを含めた、製品ライフサイクル全体の基本品質として考える必要があります。




こうして製造業の変化を並べてみると、一つの共通点が見えてきます。

今後求められるのは、単体のFA機器を高性能化することだけではありません。

人の判断を支援する。
設備同士をつなぐ。
現象をデータとして捉える。
将来を予測する。
安全につながり続ける。

こうした機能を組み合わせ、工場全体の価値へ変えていくことです。

そこで次に考えたいのが、FA機器メーカー自身が持っている「技術」の見方です。

PLCメーカーは、本当にPLCという製品しか持っていないのでしょうか。

次回は、「2.デジタルFA企業の技術資産を再定義する 2-1.保有しているのは『FA機器』だけではない」として、自社技術を製品名ではなく「技術資産」として棚卸しする方法を考えていきます。

※御社のプロダクト(製品・サービス)分野で同様の話が聞きたい!という場合は、どうぞご相談ください。

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2026/08/24

【新規連載】新規研究開発テーマの決め方と進め方(FAビジネスを例にとって)①

今回の投稿からはしばらく、スマイルカーブの上流で重要な企画・研究開発の話を分かりやすくお届けします。具体的な製品イメージがしやすいように、例えば、FA関連機器を例に考えていきます。
※御社のプロダクト(製品・サービス)分野で同様の話が聞きたい!という場合は、どうぞご相談ください。
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第1章 なぜ今、新規研究開発テーマなのか

1-1. 新規研究開発テーマを取り巻く問題

PLC、産業用コントローラ、センサー、サーボ、HMI――。FA機器の世界では、これまで「より速く」「より正確に」「より小さく」「より高機能に」という方向で、着実な技術進化が続いてきました。

もちろん、こうした性能向上が不要になったわけではありません。しかし、新規研究開発テーマを考えるという観点では、少し事情が変わってきています。

たとえばPLCであれば、演算速度やI/O点数を向上させる。センサーであれば、精度、応答速度、耐環境性を高める。サーボであれば、高速・高精度な位置決めを可能にする。従来であれば、こうした性能改善そのものが、比較的わかりやすい商品価値になりました。

ところが現在、多くのFA機器はすでにかなり高い水準に達しています。

性能を10%上げたからといって、顧客が10%高く買ってくれるとは限りません。新機能を追加しても、顧客から「それでうちの工場は何が良くなるのか」と聞かれれば、説明に窮することもあります。

ここに、新規研究開発テーマを考える難しさがあります。

顧客が欲しいのは「機器」ではない

製造現場の顧客が本当に欲しいものを考えてみると、PLCやセンサーそのものではありません。

「設備を止めたくない」
「不良を減らしたい」
「熟練者が減っても生産を維持したい」
「段取り替えを短くしたい」
「電力使用量を減らしたい」

といった成果です。

つまり顧客が求めているものは、生産性、品質、稼働率、省人化、省エネルギーといった経営・現場上の価値です。

そう考えると、新規研究開発テーマの発想も変わってきます。

「次世代の高精度センサーを開発する」ではなく、

「設備異常を従来より早く発見し、突発停止を半減させるためには何が必要か」

と考える。

すると必要になるのは、センサーだけとは限りません。エッジ側での信号処理、異常判定アルゴリズム、ネットワーク、データ蓄積、HMIでの表示、さらに保全サービスまで含めた仕組みになるかもしれません。

研究開発テーマの単位そのものが、「製品」から「顧客課題」へ変わりつつあるわけです。

ハードウェアの先に事業がある

もう一つ重要なのが、売切り型ビジネスからの変化です。

FA機器メーカーにとって、ハードウェアは今後も重要な収益源でしょう。ただし、ハードウェアを販売して終わり、というモデルだけでは成長余地が限られてきます。

設備データを継続的に収集し、状態を診断する。
異常兆候を知らせる。
運転条件の改善を提案する。
複数設備のデータから工場全体を最適化する。

こうした領域では、ソフトウェア、AI、クラウド、エッジコンピューティング、保全サービスなどが組み合わされます。

ここで注意したいのは、

「AIを使うこと」や「クラウドにつなぐこと」自体を研究開発テーマにしない

ことです。

AIもクラウドも手段にすぎません。

「AIを使って何かできないか」と技術起点だけで考えると、面白いデモはできても事業にならない、ということがよく起こります。

逆に、

「顧客のどの問題を解決するのか」
「その問題にはどれくらいの経済価値があるのか」
「自社の技術を使う必然性はあるのか」
「継続的に収益を得られる仕組みにできるのか」

まで考えると、研究テーマと事業テーマがつながってきます。

問題は「技術がない」ことではない

多くのFA機器メーカーを見ていると、研究開発の悩みは、必ずしも技術力不足ではありません。

むしろ逆です。

制御技術もある。
センシング技術もある。
通信技術もある。
モーター技術もある。
ソフトウェア技術者もいる。

それなのに「次に何をやるべきか」が決まらない。

これは、技術を生み出す力と、技術を顧客価値に変換する力は別物だからです。

さらに言えば、

技術 → 顧客価値 → 製品・サービス → 事業

という一連の変換を行う仕組みが社内に必要になります。

新規研究開発テーマの探索とは、単なるアイデア出しではありません。「将来使えそうな技術」を集めることでもありません。

自社が持つ技術と、これから起こる市場・顧客の変化を結びつけ、そこから将来の事業につながるテーマを選び出す活動です。



では、その「これから起こる変化」とは何でしょうか。

人手不足、熟練者減少、AIの普及、設備のデータ化、省エネルギー要求、サイバーセキュリティ、工場の自律化――。

次回は、「1-2.製造業を取り巻く変化」として、FA機器メーカーが新規研究開発テーマを考えるうえで押さえておくべき外部環境の変化を整理します。

※御社のプロダクト(製品・サービス)分野で同様の話が聞きたい!という場合は、どうぞご相談ください。

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2026/08/23

【新規連載】100年時代を生き抜く「アンラーン」:DQLコースで未来を再定義⑥

 第6回:実践者のためのDQLコース――株式会社ジェダイトが提供する、成果と人材変容の場

これまで本連載では、アンラーンの必要性、成功体験から生まれる「思考のクセ」、変化を妨げる七つの壁、そして自らの思考を再定義することの重要性について述べてきた。

最終回では、株式会社ジェダイトが提供する「設計品質リーダー(DQL)育成コース」の具体的な内容を紹介する。

DQLコースは、アンラーンそのものを座学で教える研修ではない。また、品質工学や統計手法などの技法を習得することだけを目的とした講座でもない。

受講者が自社の実務テーマに取り組み、経営に貢献する成果を生み出す過程で、従来の仕事の進め方や判断基準を問い直す。そこで必要な知識を学び直し、周囲を巻き込みながら成果へつなげる。つまり、実際の仕事を通じてアンラーンとリラーニングを経験する、実践型の人材育成プログラムである。

DQLとは、経営に貢献するテーマを自らつくれるリーダー

設計・開発部門の人材育成というと、品質工学、統計解析、シミュレーション、AIなど、個別の手法を学ぶ研修が中心になりやすい。

しかし、どれほど高度な手法を身につけても、取り組むテーマそのものが経営課題と結びついていなければ、大きな成果にはつながらない。目的や目標が曖昧なまま、「使ってみたい手法」を起点に活動を始めると、手法の適用自体が目的化してしまう。

その結果、「品質が少し良くなった」「データを解析できた」という技術的な改善は得られても、それが売上、利益、開発期間、市場機会、将来の競争力にどれほど貢献したのかを説明できないことがある。

DQLコースでは、この「手法ありき」の発想を転換する。

最初に考えるのは、どの手法を使うかではない。自社の現状を分析し、経営や事業にとって解決すべき重要課題は何かを明らかにする。そのうえで、目的、目標、期限、期待される成果金額を設定し、必要な手法を選択する。

品質工学や統計手法、シミュレーション、AIなどは、テーマを実現するための有力な手段である。しかし、DQLコースの中心は、特定の手法を習得することではない。

経営的に重要なテーマを自ら設定し、計画を立て、必要な人を巻き込み、成果を定量的に示せるリーダーを育成することが、このコースの目的である。

コース開始前:候補者の選定と組織内の共通認識づくり

DQLコースでは、各部門から選ばれたリーダー候補者が受講する。活動期間は、基本となる1年間と、その後のフォローアップ期間を合わせた2年間で構成される。

また、候補者だけに活動を任せるのではなく、必要に応じて全社講演会や管理職向けセミナーも実施する。

これは、受講者だけが新しい考え方を学んでも、上司や関係部門が活動の目的を理解していなければ、実務での挑戦が進みにくいからである。テーマの実行には、時間、予算、部門間の協力、意思決定などが必要になる。上司や経営層が活動の意味を理解し、組織として支援する環境を整えることが欠かせない。

アンラーンを個人だけの努力にしないためには、本人を取り巻く組織の認識も同時に変える必要がある。

第1フェーズ:重要テーマを抽出し、成果への道筋を設計する

1年目の前半6か月は、実践すべきテーマの抽出と計画策定に充てられる。この期間が、DQLコースの成否を左右する重要な段階である。

まず、開講式や講演、設計品質に関する手法、テーマ設定、効果試算などについて学ぶ。同時に、受講者は自部門の現状分析を行い、問題を定義し、根本原因を検討する。

そのうえで、次のような視点から、本当に取り組むべきテーマを絞り込んでいく。

自社や部門が直面している重要な経営課題は何か

顧客や市場にとって、どのような価値を生み出すのか

何を、いつまでに、どの水準まで改善するのか

売上、利益、損失回避、開発期間などに、どの程度の効果があるのか

テーマを実行するために、誰の協力が必要か

成果を確認するために、どのような指標を使うのか

テーマの例としては、新製品開発による売上・利益の拡大、製品開発の遅れによる市場機会損失の低減、開発期間の短縮、出戻り防止による価値創造リソースの確保、新市場の開拓などが挙げられる。

講師との対話や調査・議論を重ねながら、受講者はテーマ提案書を作成する。前半の最終段階では、経営幹部に対してテーマ提案報告を行い、テーマの内容と効果試算について確認を受け、実施承認を得る。

ここで受講者がアンラーンするのは、「目の前の技術問題を解けば、それが成果になる」「得意な手法を使えば、よいテーマになる」という従来の発想である。

技術課題を、経営課題や顧客価値との関係から捉え直す。それによって、受講者の視点は、個別問題を処理する技術者から、成果への道筋を設計するリーダーへと広がっていく。

第2フェーズ:実務テーマを実行し、成果を定量化する

1年目の後半6か月は、前半で承認されたテーマを実行する期間である。

受講者は、テーマの内容に応じて社内外の関係者を巻き込み、計画した活動を進める。講師は定期的なコンサルティングを行い、進捗、問題点、目標達成の見通し、効果試算などを確認する。必要に応じて、品質工学、統計手法その他の実務に必要な追加セミナーも実施する。

DQLコースでは、知識を学んでから実務に戻るのではない。実務を進める中で必要となった知識を学び、その場でテーマへ適用する。

そのため、受講者は「知っている」と「使える」の違いに直面する。教科書どおりに進まない問題、部門間の意見の違い、計画時には見えていなかった制約などに向き合いながら、自分の考え方や計画を修正していく。

この過程で解きほぐされるのは、「専門家である自分が正解を持っていなければならない」「一度決めた計画は変えてはいけない」「自分の部門だけで完結させたい」といった思考の固定化である。

実務では、最初から完全な答えを持つことはできない。仮説を立て、実行し、結果を確認し、必要に応じて計画を修正する。DQLコースは、このPDCAを実際のテーマの中で回すことによって、変化に対応できる思考と行動を身につける場となる。

1年目の最終段階では、経営幹部も参加する成果報告会を実施する。各テーマの進捗や技術的成果だけでなく、成果を金額で定量化し、投入費用との関係も含めて報告する。

「なんとなく良くなった」で終わらせず、活動が事業にどのような価値をもたらしたのかを経営層と共有する。この経験を通じて、受講者は技術成果を経営の言葉で説明する力を身につける。

第3フェーズ:フォローアップによって成果を定着・拡大する

DQLコースは、1年目の成果報告会で終了するわけではない。

経営効果の大きなテーマは、計画から成果の実現までに2年以上を要することも多い。そのため、2年目以降は、実践活動のフォローアップを行う。既存テーマを継続するだけでなく、実践中に生まれた新しい課題や、次に取り組むべきテーマについても相談・指導を行う。

このフォローアップには、研修を「一過性のイベント」にしないという意味がある。

一般的な研修では、受講直後には意欲が高まっても、日常業務へ戻ると従来の仕事の進め方に引き戻されやすい。DQLコースでは、実務テーマの進捗を継続的に確認し、問題が生じたときに相談できる関係を保つことで、学びを実際の成果へつなげる。

さらに、2年ごとなどのサイクルで新しい受講者を迎えることにより、先に修了したDQLが後輩の活動を支援する側へ回る。自分が学んだことを次のリーダーへ伝え、他のテーマにも応用することで、個人の経験が組織の知識へと変わっていく。

こうして、テーマ設定、実行、成果確認、フォローアップ、次世代育成という循環が形成される。

DQLコースが目指すのは、優秀な個人を一人育てることだけではない。継続的にリーダーを生み出し、改善と価値創造が自律的に繰り返される組織風土をつくることである。



受講者が得るのは、手法だけではない

DQLコースを通じて、受講者が得るものは、設計品質やデータ解析に関する知識だけではない。

経営効果の大きいテーマを設定する力、成果を金額で試算する力、経営層へ提案するプレゼンテーション力、関係者を巻き込むリーダーシップなどを、実際の活動を通じて身につける。

テーマを提案し、経営幹部の承認を受け、多くの関係者とともに成果を生み出す経験は、本人の自信につながる。その姿を見た周囲からの信頼が高まり、さらに大きなテーマを任されるという成長の循環も生まれる。

DQLは、品質手法に詳しい専門家にとどまらない。経営と技術をつなぎ、自ら価値創造の仕事をつくり、周囲を巻き込みながら実現できる人材である。将来のプロダクトマネージャーや組織責任者の候補としても、重要な役割を担うことになる。

実績が示す「仕事を通じた人材育成」の効果

株式会社ジェダイトの案内資料に記載された2023年度時点の集計では、同社設立後の7年間で、5社13期、100名以上のリーダー育成に関わっている。

受講者が取り組んだテーマの単年度効果試算は、1テーマ当たり平均約1億円、中央値約5,000万円であり、合計では120億円以上とされている。これらは実践企業自身が算出し、経営幹部が確認した数値を集計したものである。

もちろん、すべてのテーマが同じ規模の成果を生むわけではない。また、DQLコースは、短期間で特定の手法を覚えれば自動的に成果が出るというプログラムでもない。

成果の源泉となるのは、受講者自身が重要なテーマを選び、組織の協力を得ながら、計画と実行を粘り強く繰り返すことである。コースは、その活動を正しい方向へ導き、途中で止まらないように支援する仕組みである。

アンラーンを、実際の成果へ変える

DQLコースにおけるアンラーンは、過去の考え方を反省するだけの内省活動ではない。

「手法を学べば成果が出る」という考え方から、「経営的に重要な目的に応じて手法を選ぶ」という考え方へ変わる。

「技術的に改善できれば十分」という考え方から、「生み出した価値を定量化し、経営に説明する」という考え方へ変わる。

「自分の専門の中で解決する」という考え方から、「関係者を巻き込み、組織として実現する」という考え方へ変わる。

「研修が終われば学習も終わる」という考え方から、「実務、フォローアップ、後進育成を通じて学び続ける」という考え方へ変わる。

この変化は、講義を聞くだけでは生まれない。自社の重要テーマに向き合い、計画し、提案し、実行し、成果を報告する一連の経験を通じて初めて、自分の思考と行動が更新される。

DQLコースは、単なる「知的ドック」ではない。思考を点検するだけでなく、実際のテーマにおいて新しい行動を試し、経営成果を生み出し、その経験を組織へ定着させるところまでを支援する、実践型の人材育成・事業成果創出プログラムである。

株式会社ジェダイトが目指すのは、受講者の過去の成功体験を否定することではない。その経験を、現在の経営課題と結びつけ、次の時代にも価値を生み出せる力へと変換することである。

人を育てることと、事業成果を生み出すことを分けない。実際の仕事を通じてリーダーを育て、そのリーダーが次の成果と次の人材を生み出す。

その循環を組織の中につくることこそが、DQLコースの最終的な目的なのである。


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2026/08/22

【新規連載】100年時代を生き抜く「アンラーン」:DQLコースで未来を再定義⑤

 第5回:アンラーンを加速させる「DQLコース」の設計思想

これまで本連載では、アンラーンが必要とされる背景、成功体験によって形成される「思考のクセ」、それを解きほぐすための実践方法、そして変化を妨げる「七つの壁」について見てきた。

ここまでの内容から分かるように、アンラーンは、本人がその必要性を理解するだけでは十分ではない。「過去の成功に固執しないようにしよう」「柔軟に考えよう」と決意しても、日常業務に戻れば、再び慣れた思考と行動のパターンが働き始める。

だからこそ、アンラーンには、それを継続的に促すための場と仕組みが必要になる。

株式会社ジェダイトが提供する「設計品質リーダー(DQL)育成コース」は、本連載で述べてきたアンラーンの考え方を、設計・開発の実務へ落とし込むためのプログラムである。

DQLコースの目的は、新しい知識や手法を一方的に教え、それまでの知識を新しい知識で「上書き」することではない。受講者が、自分の判断を支えている前提や成功体験を振り返り、現在の環境に適した形へと自らの思考を再定義することにある。

その中心にあるのが、「Re-define(再定義)」という考え方である。



知識の上書きではなく、思考の再定義

一般的な研修では、新しい知識、手法、フレームワークを習得することが重視される。もちろん、DQLコースにおいても、設計品質を高めるための知識や実践的な手法を学ぶ。

しかし、新しい手法を学んだだけで、実務における判断が変わるとは限らない。

例えば、顧客要求を整理する新しい方法を学んでも、「顧客の要望は営業部門が把握しているはずだ」という前提が残っていれば、開発者自身が顧客価値を深く考えるようにはならない。新しい評価手法を学んでも、「過去の製品で問題がなかったから、今回も同じ条件でよい」という考え方が残っていれば、その手法は形式的に使われるだけで終わってしまう。

つまり、知識を追加する前に、その知識を受け入れ、活用する側の思考を点検しなければならないのである。

DQLコースが目指すのは、「従来の考え方は間違っていた」と否定することではない。これまでの方法が、どのような条件のもとで有効だったのかを明らかにし、現在の条件でも有効なのかを問い直すことである。

「この方法が正しい」という完成した答えを、「この条件では、この方法が有効なのではないか」という検証可能な仮説へ戻す。これが、DQLコースにおける思考の再定義である。

あえて「不完全段階」へ戻る

DQLコースの設計思想には、受講者を意図的に「不完全段階」へ導くという考え方がある。

経験を積んだプロフェッショナルは、自分なりの仕事の進め方や判断基準を確立している。それによって、複雑な課題にも素早く対応し、安定した成果を出すことができる。いわば、仕事における一つの「完成形」を築いているのである。

しかし、その完成形が強固であるほど、別の考え方を受け入れる余地は小さくなる。

そこで、いったん完成された答えを開き、「なぜ、この方法を選んでいるのか」「前提となる条件は変わっていないか」「別の方法は本当に成立しないのか」と問い直す。自分の判断に含まれる暗黙の前提を、他者が検討できる形まで言語化する。

この過程では、これまで自信を持っていた答えが揺らぐこともある。自分が十分に理解していると思っていた問題に、説明できない部分が見つかることもある。それは、能力が低下した状態ではない。新しい可能性を取り込むために、完成形を一度開いた状態なのである。

プロフェッショナルとして身につけた鎧を、一時的に脱ぐ。そこで生まれた余白に、新しい知識、異なる視点、他者からの問いを受け入れる。そのうえで、自分の経験を現在の環境に合った形へと組み直していく。

DQLコースにおける「不完全段階」とは、初心者へ戻ることではない。豊富な経験を持ったまま、もう一度学び、選び直せる状態へ戻ることである。

最大の対象は、成功体験を持つリーダー層

アンラーンによる効果を最も大きく得られるのは、皮肉にも、すでに豊富な経験と大きな成功体験を持つリーダー層である。

成功してきたリーダーには、自分の判断を信じるだけの根拠がある。過去の経験によって、多くの問題を解決してきた実績もある。組織の中でも、その人の判断や方法が一つの基準として扱われていることが少なくない。

しかし、環境が大きく変化したとき、その強い成功体験は「成功体験という名の脆弱性」に変わる可能性がある。

リーダーの過去の成功パターンが組織の標準になっていると、本人だけでなく、部下や組織全体も新しい方法を試しにくくなる。「以前、この方法で成功した」という事実が、現在の条件を検討しない理由として使われるからだ。

DQLコースの使命は、リーダーが築いてきた専門性や成功体験を否定することではない。それらを成立条件まで含めて見直し、新しい課題にも使える形へと変換することである。

過去の経験を、守るべき完成品として扱うのではなく、未来のために更新できる資源として扱う。そうすることで、「成功体験という名の脆弱性」は、再び「未来を切り拓く武器」へと変わる。

「人は変われる」を、カリキュラムとして体験する

「人はいつからでも変わることができる」という言葉は、理念としては多くの人が理解している。しかし、長年かけて形成された思考や行動のパターンを、本人の決意だけで変えることは難しい。

必要なのは、過去の前提に気づき、他者の視点を受け入れ、新しい考え方を試し、その結果を振り返る一連のプロセスである。そして、その経験を一度きりで終わらせず、実務の中で繰り返せる形にすることである。

DQLコースは、「人は変われる」という信念を、抽象的な理想ではなく、受講者自身が実感できる学習プロセスとして設計する。

受講者が得るべきものは、研修で学んだ知識の量だけではない。自分の思考を点検し、必要に応じて解きほぐし、別の形へ組み直せる能力である。この能力が身につけば、研修で扱わなかった未知の課題に直面したときにも、自ら学び、変化し続けることができる。

DQLとは、完成された答えを持つリーダーではない。環境の変化に応じて、自分と組織の答えを何度でも問い直せるリーダーなのである。

次回の最終回では、DQLコースが受講者をどのような段階を通じて変容へ導くのか、その具体的なステップと、受講後に開かれる新たな可能性について詳しく見ていく。

※参考文献:Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」_柳川 範之_為末 大_日経BP

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2026/08/21

【新規連載】100年時代を生き抜く「アンラーン」:DQLコースで未来を再定義④(後半)

(前回続き) 

5.権威への依存――「あの人の言うことなら間違いない」

私たちは、実績のある経営者、著名な専門家、経験豊富な上司など、権威を持つ人の判断を信頼する傾向がある。限られた時間の中で意思決定を行うためには、権威や実績を判断材料にすること自体は合理的である。

問題は、「誰が言ったか」が、「現在の条件でも正しいか」より優先されることである。

過去に優れた成果を上げた人物であっても、別の業界、別の時代、別の組織で、その方法が同じように機能するとは限らない。権威ある人の発言も、そのまま正解として受け入れるのではなく、成立条件を確認する必要がある。

「誰の意見か」と「どのような根拠があるか」を分けて考えることが、この壁を越える第一歩となる。

6.感情的な固執――「だって、これが好きなんだもん」

人間の判断は、合理性だけで決まるものではない。長年使ってきた方法への愛着、思い入れのある製品、自分を育ててくれた上司から教わった考え方などには、感情的な価値が結びついている。

そのため、データによって別の方法が優れていると示されても、簡単には手放せないことがある。論理的な説明を重ねても変化が起きないとき、背後には「正しいかどうか」ではなく、「好きかどうか」「自分らしいかどうか」という問題が隠れている可能性がある。

感情を排除しようとする必要はない。まず、自分の判断にどのような愛着や思い入れが影響しているのかを認めることが重要である。そのうえで、「好きだから残す部分」と「成果のために変える部分」を分けて考えるのである。

7.潜在的バイアス――自分では気づけない思考の偏り

七つ目は、無意識のうちに働く多種多様な思考の偏りである。

自分に都合のよい情報ばかり集める、最初に示された数字や意見に引きずられる、所属する集団の考え方を正しいと思い込む、成功例だけを見て失敗例を見落とす。こうしたバイアスは、本人が注意しているつもりでも、完全に避けることは難しい。

潜在的バイアスの厄介な点は、偏っている本人には、自分の判断が自然で合理的に見えることである。自分だけで発見しようとしても限界がある。

だからこそ、判断の根拠を言語化する、反対意見を意図的に集める、データで確認する、異なる立場の人によるレビューを受けるといった仕組みが必要になる。

成功した人ほど、壁は高くなる


個人の努力から、組織の仕組みへ

七つの壁は、人間に共通する心理的な性質から生まれる。そのため、「意識を変えよう」「柔軟に考えよう」と呼びかけるだけでは十分ではない。個人の意志力に依存するのではなく、固定化した前提を発見し、問い直し、別の方法を試せる仕組みを組織の中に設ける必要がある。

例えば、異なる部門のメンバーが一つの課題を検討する、判断の前提を言葉にする、データによって仮説を検証する、経験の異なる人からレビューを受けるといった活動である。こうした仕組みがあれば、本人には見えにくい思考のクセを、組織として発見しやすくなる。

設計品質リーダーを育成する「DQLコース」の存在意義も、単に新しい知識や手法を教えることだけにあるのではない。参加者が自らの成功体験や専門領域の常識をいったん相対化し、実際の課題を通じて、判断の前提を組み替えられるようにすることにある。

アンラーンは、一人で過去を否定する作業ではない。異なる知識と視点を持つ人々が、互いの「当たり前」を問い直し、よりよい方法へ更新していく組織的な学習活動である。

変化に適応できる組織とは、最初から正しい答えを持っている組織ではない。七つの壁が存在することを認識し、必要なときに過去の答えを開き直せる仕組みを持った組織なのである。




※参考文献:Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」_柳川 範之_為末 大_日経BP

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2026/08/20

【新規連載】100年時代を生き抜く「アンラーン」:DQLコースで未来を再定義④(前半)

第4回:変化に適応するための「七つの壁」を乗り越える(前半)

前回は、アンラーンを実践するための方法として、無意識のルーチンを洗い出すこと、「いつも」「通常は」という言葉を問い直すこと、異質な他者との対話によって自分の常識を相対化することを紹介した。

しかし、方法を理解しただけで、長年身につけてきた思考や行動を簡単に変えられるわけではない。アンラーンを始めようとすると、私たちの内側には、変化を押し戻そうとするさまざまな力が働くからだ。

それは、本人の意志が弱いからではない。人間には、現在の安定を守り、損失や不確実性を避けようとする心理的な性質がある。アンラーンとは、その性質に逆らい、慣れ親しんだ考え方をいったん不完全な状態へ戻す行為である。そのため、個人の意志力だけでは突破しにくい、いくつもの心理的障壁が立ちはだかる。

ここでは、アンラーンを妨げる代表的な要因を「七つの壁」として整理する。

1.現状維持の誘惑――「このままでいいんじゃないか

第一の壁は、現在の状態を変えずに保とうとする心理である。

今の方法で大きな問題が起きていなければ、あえて変更する必要はないように思える。新しい方法には学習や準備が必要であり、結果がどうなるかも分からない。それなら、慣れた方法を続けるほうが安全に見える。

しかし、「今は問題がない」ことと、「これからも有効である」ことは同じではない。環境変化の影響は、最初から明確な失敗として現れるとは限らない。顧客ニーズとの小さなずれ、意思決定の遅れ、若手社員との認識差などとして、静かに蓄積していくこともある。

現状維持の壁を見分けるには、「問題が起きていないか」だけでなく、「今、新たにこの方法を選ぶか」と問い直す必要がある。

2.損失回避――「今あるものを手放したくない」

人は一般に、同じ大きさの利益を得る喜びよりも、すでに持っているものを失う苦痛を強く感じやすい。

アンラーンでは、慣れた方法、確立した立場、周囲からの評価などを、いったん手放すことが求められる。それが新しい可能性につながると理解していても、「今までできていたことが通用しなくなる」「自分の評価が下がるかもしれない」という不安が先に立つ。

そのため、変化によって得られるものより、失う可能性のあるものばかりに注意が向いてしまう。

この壁を越えるには、「何を失うか」だけでなく、「変えないことによって、将来何を失うか」も同時に考えることが必要である。

3.サンクコストへの執着――「せっかくここまで頑張ってきたのだから」

サンクコストとは、すでに費やしてしまい、取り戻すことのできない時間、費用、労力などを指す。

長い時間をかけて身につけた技術や、苦労して整備した仕組みほど、「ここでやめたら、これまでの努力が無駄になる」と感じやすい。その結果、今後の有効性ではなく、過去にどれだけ投資したかを基準に、継続を決めてしまう。

しかし、過去の努力が価値を持っていたことと、その方法を将来も続けるべきかどうかは、別の問題である。役割を終えた方法を手放しても、そこで得た経験や判断力まで失われるわけではない。

「これまで、どれだけかけたか」ではなく、「これから、さらに何をかける価値があるか」を判断基準にする必要がある。

4.専門性の呪縛――「自分のやり方でやりたい」「他人には分からない」

専門性は、プロフェッショナルにとって大きな強みである。一方で、専門知識が深くなるほど、外部からの意見を受け入れにくくなることがある。

「この分野は経験した人にしか分からない」「自分の方法には理由がある」という考え方は、専門家として正しい場合も少なくない。しかし、それが強くなりすぎると、専門外の人からの素朴な疑問や、新しい技術による代替案を退けるための言葉になってしまう。

また、専門性は、その人の自信や社内での地位とも結びついている。従来の方法を見直すことが、自分自身の価値を否定するように感じられる場合もある。

必要なのは、専門性を捨てることではない。専門知識を「自分だけが守る完成品」ではなく、「他者との対話によって更新する資源」として扱うことである。




※参考文献:Unlearn(アンラーン) 人生100年時代の新しい「学び」_柳川 範之_為末 大_日経BP

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