第10章 専門家を育てるだけでは、イノベーションは起きない
― DQL(設計品質リーダー)には「深さ」と「つなぐ力」の両方が必要である
専門家が多い会社ほど、イノベーションが起きるとは限らない
製造業やテック企業では、専門性の高い人材を育てることが重視されてきた。
材料の専門家、機械設計の専門家、電気制御の専門家、ソフトウェアの専門家、統計解析の専門家、品質保証の専門家。こうした人材は、企業の技術力を支えるうえで不可欠である。
しかし、ここに一つの落とし穴がある。
専門家が増えれば、それだけで新しいプロダクトが生まれるわけではない。
むしろ、専門領域が細かく分かれすぎると、組織の中で知識が分断されることがある。
材料担当は材料のことだけを考える。機械担当は構造だけを見る。ソフトウェア担当はアルゴリズムを改善する。営業は顧客要望を集める。経営は市場規模と投資額を見る。
それぞれの仕事は正しい。
しかし、それらがつながらなければ、顧客価値のあるプロダクトにはならない。
イノベーションに必要なのは、専門知識の量だけではなく、異なる専門知識を一つの価値へ束ねる力だからである。
専門性は「井戸」であり、DQLは井戸同士をつなぐ
専門性の深さは、井戸にたとえると分かりやすい。
深く掘った井戸ほど、貴重な水を得られる。
材料技術を20年研究した人には、簡単には代替できない知識がある。特定の制御技術を極めた人にも、長年の経験からしか得られない感覚がある。
この深さは重要である。
しかし、会社に深い井戸が10本あっても、それぞれが孤立していれば、使える水の量は限られる。
新しい事業を生み出すには、井戸と井戸をつなぐ水路が必要になる。
たとえば、材料技術とセンシング技術を組み合わせることで、これまで測れなかった状態を検知できるかもしれない。そこにAIを加えれば、故障予知のサービスへ発展する可能性がある。
DQLは、すべての井戸を自分で掘る人ではない。
どの井戸とどの井戸をつなげば、新しい価値が生まれるかを考える人である。
「技術的にできる」と「商品になる」の間には、多くの橋が必要である
研究開発では、技術的な成果が出ると「商品化できそうだ」と考えたくなる。
しかし、技術成果と商品化の間には大きな距離がある。
たとえば、研究部門が新しいセンシング技術を開発し、従来より高精度に設備の振動を測定できるようになったとする。
技術的には成功である。
しかし、顧客にとって本当に価値があるかはまだ分からない。
センサーの価格は許容されるのか。
既存設備に取り付けられるのか。
誰がデータを見るのか。
異常を検知した後に何をすればよいのか。
既存の保全システムと連携できるのか。
これらが解決されなければ、優れたセンシング技術は「面白い技術」で終わる。
つまり、技術を商品へ変えるには、複数の橋が必要である。
DQLは、その橋を設計する役割を担う。
専門家同士は、意外なほど「言葉」が通じない
異分野連携が難しい理由の一つは、専門家同士で使う言葉が違うことである。
たとえば材料技術者が「耐久性が十分」と言ったとする。
機械設計者は、それを10年使えるという意味だと思うかもしれない。
しかし材料技術者は、特定の試験条件で1000時間問題がなかったという意味で使っているかもしれない。
同じ「十分」という言葉でも、意味は違う。
営業が「顧客は高精度を求めている」と言う。
設計者は測定精度を上げようとする。
しかし顧客が本当に困っていたのは、測定結果が出るまでの時間だったということもある。
こうしたすれ違いは珍しくない。
DQLには、専門家の話を単に聞くだけでなく、その意味を翻訳する能力が必要である。
「材料側ではこの条件で成立している。ただし顧客使用条件ではまだ確認が必要だ」
「営業が言う高精度とは、測定誤差ではなく判断ミスを減らしたいという意味ではないか」
このように異なる言葉をつなぐことで、初めてチーム全体が同じ問題を見られるようになる。
専門家を集めただけのチームが、なぜうまくいかないのか
新規プロジェクトでは、「各分野のエースを集めれば成功する」と考えがちである。
しかし実際には、専門家を集めただけではうまくいかないことがある。
ある新製品開発で、材料、機械、電気、ソフトウェアの優秀な技術者を集めたとしよう。
材料担当は最高性能の材料を選ぶ。
機械担当は剛性を最大化する。
電気担当は高性能な回路を採用する。
ソフトウェア担当は高度な機能を追加する。
それぞれの判断は技術的に正しい。
ところが、完成した製品は高価で重く、顧客が必要としない機能まで搭載されてしまった。
これは、オーケストラに優秀な演奏家を集めたのに、指揮者がいない状態に似ている。
一人ひとりは素晴らしい演奏をしている。
しかし全体として一つの音楽になっていない。
DQLは、技術チームにおける指揮者の役割を担う。
DQLは「全部知っている人」ではない
ここで重要なのは、DQLがすべての専門領域に詳しくなる必要はないということである。
機械も材料も電気もAIもマーケティングも会計も、すべて専門家レベルで理解しようとすれば現実的ではない。
必要なのは、各分野の専門家と対話し、重要な論点を理解し、意思決定できるだけの知識である。
たとえばソフトウェアの専門家ではなくても、
「このアルゴリズムは、どのようなデータが必要なのか」
「学習後の精度はどの程度変動するのか」
「顧客データを使う場合の制約は何か」
といった質問ができればよい。
材料の専門家ではなくても、
「この物性値は実使用条件でも維持されるのか」
「劣化モードは何か」
「量産時のばらつきはどの程度か」
を聞ければよい。
つまりDQLに必要なのは、知識の総量よりも、重要な問いを専門家へ投げられる力である。
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