2007/02/05

損失関数の難しさと世代間闘争

 許容差設計を行うにせよ、オンライン品質工学を行うにせよ、拠り所となるのはそれらの計算方法や数理ではなく、まず損失関数の概念が受け入れられるかどうかであろう。損失関数の概念と言ったが、その計算方法のことではない。損失関数が導かれるまでの考え方、もっといえば社会に与える損失という考え方、哲学である。
 ではなぜ、損失関数があまり活用されないのであろうか。まず、機能限界Δ0(LD50)はともかく、A0の値が不明であることからあまり使用されない、使用しにくいという論があるが、それは誤解であると思う。上記のように、確かな精度でその値を決めるのは確かに難しいが、A0の値の精度が倍半分違っても、オンラインQEの計算による許容差や診断間隔はそれほど変わらないのである(まるめの範囲内であることが多い)。
 もう1つは、A0として社会の損失をすべて見込むのは過剰であるという考えによって、損失関数が使われにくい場合である。売価が数100円の安い部品が人命に関わることがあると、安全率は膨大になり、計画コストで設計できなくなる。これについては、ひとまず、安全設計(製品が壊れても人命や重要な財産は守られる仕組み)を併用することを勧めているので、損失関数を用いない直接的な問題ではないと考える。

 ここからが本論であるが、誤解を恐れずに言えば(いや、誰もが薄々気が付いているので地雷を踏むこと承知で言えば)、損失関数が経営者に使われない本当の理由は以下のようであると考える。
 企業の内部から損失関数を見た場合には、企業内の検査によってNGとなった場合の損失Aは、現在発生する損失である。すなわち、工程内の廃却コスト、ロスコストとなって、「現在」の企業(経営者、株主)にとってダメージとなり直撃する。
 なので善意には、政治的に妥当な理由(過剰品質やVA/VEという言葉が使用される)によって、あるいは悪意には故意的に、できるだけ許容差はゆるくして、工程内でNGとなるロスコスト(賞味期限切れのケーキや、電車の到着時刻の遅れ等ですね)は減らしたいと考えるのである(これには異論があろうが、程度問題である。損失関数の立場から見れば善意であっても大方A0は過小に見積もられている)。
 一方、機能限界外損失A0は出荷後将来にわたって発生する社会的な損失である。ここでの論点は「社会的損失」のほうではなく、「将来」のほうである。A0は将来の企業(経営者、株主)にとっての損失であるから、現在の企業(経営者、株主)にとっては直接の損失とはならない(普通は長くても数年で経営者は変わってしまう。ここでも異論があるだろうがこれも程度問題でると考える)。
 ここに損失関数の理念の落とし穴がある。つまり、現在の1円と将来の1円を同じものとして(これは金利や貨幣価値の意味もあるが、もっと広くだれにとって得する1円かという意味で)バランスを考え、許容差Δを決めるという操作に、現在の経営者は魅力を感じないのではないか(と、訊いてYesという経営者はそうはいないだろうが。経営者は品質第一、お客様第一を謳っているのだから、すばらしい、あるいは当たり前の理念だというであろう)。
 現在のB/S、P/L、キャッシュフローでシビアに評価される経営者にとっては現在の1円は将来の1円よりずっと重いのである。明日の金策に奔走する経営者に3年後のクレームの話を説いても仕方がない、というのは大げさな表現ではあるまい。経営者がそうであるから、中間管理職や技術担当への評価もしかりで、未然防止に対しては評価が低い。その点では現場から見ると、損失関数の考え方はナイーブに見えてもしかたがない。
 社会的に見ればこのように考える会社はつぶれたほうが世の中のためなのかもしれないが(ドラッカーもそう言っていたが)、当事者や従業員、その家族はそうは考えられまい。大方は自分の生活や立場を守ることに汲々としているのである。
 経営者が長い時間軸を含めた社会損失の最小化を行わないと損失関数による意思決定は不可能なのである(これは究極の社会主義であろう、従って自由経済、資本主義とは短期では相反する)。しかしもう少し現実的な方法として、転属・引退した経営者も関わった製品に対しては将来の損失に対する責任をかぶるくらいの対応があってもよいのかもしれない。
 これらの議論は国の財政問題、環境問題、エネルギー問題などの先送りすべて当てはまる。また、戦争の火種はすべて局所最適からくる問題であろう。政府(=これは国民の代表であり、主権であるということになっている)が将来にわたっての損失まで含めた意思決定ができるくらいなら、現在のような状況にはなっていまい。
 損失関数是非の問題は、世代間闘争の問題でもある。筆者はタグチ哲学はすばらしいと思う一人であるが、局所最適は不完全な人間の性なのではないだろうか。これは人類の歴史が物語っている。人間は何千年でどれくらい進歩したといえるだろうか。

株式会社ジェダイト(JADEITE:JApan Data Engineering InstituTE)

1 件のコメント:

つるぞう さんのコメント...

 念のため、損失関数の成り立ちをおさらいしておこう。
 損失関数の2次曲線は、損失(品質)はと特性値(計量値)と同様に連続であるということと、原点である目標値mでは損失はゼロ(最小と考えてもよい)であることと、原点での損失の微係数がゼロであることから、近似曲線として導かれる(目標値から正負どちらにばらついても損失が同じ場合。異なる場合は別々に計算してもよいが、より損失の大きい側に統一すると同様の取扱いが出来る)。
 この2次曲線は、機能限界の許容差Δ0およびその時の機能限界外損失A0から座標(m+Δ0,A0)と原点(m,0)で決定される。従ってまず損失関数の曲線を決定するのは、機能限界の許容差Δ0およびその時の機能限界外損失A0である。
 企業側の許容差を求める場合は、損失関数によって計算される損失と、企業内の検査で許容差外になったときに廃却・手直しなどをしたときに発生する損失Aがバランスするところ(Δ=Δ0√(A/A0))に設定する。仮にA0がAの100倍であれば、企業内の許容差ΔはΔ0の1/10、すなわち安全率は10倍となる。
 機能限界の許容差Δ0は、特性値(主な品質特性)が目標値mからΔ0だけずれたときに、ユーザの半数が「故障」と感じる点である。これについては、技術的に決定が難しいが、ユーザのアンケートなどから調査する方法などが考えられるだろう。
 次に、問題の機能限界外損失A0である。A0にはその製品の機能がだめになったことによる、社会的損失をすべて見込まなければならない。すなわち、修理・交換コストだけでなく、ユーザに与えた損失や、ブランド乗り換えなどによる機会損失などである(このA0を甘く見て失敗した企業は多いことは周知のとおりである)。人命に関わる場合は1人1.5億円(平均余命に対する生涯賃金)などである。これについては、A0よりさらに見積もりが難しいが、企業としてどこまでの損失を見込むかは決められない数値ではない。
 以上のように考えれば、企業(経営者)は社会的損失が最小になるように損失関数を用いれば、時間的空間的な総合としてもっともよい意思決定ができるはずである。理念はすばらしいし、数理やその元となる考え方に破綻はないように見える(筆者も損失関数に感銘を受けて品質工学に入った一人である)。