2018/06/18

AI(パターン認識)による地震予測に想う

2018年6月18日の朝8時ごろに大阪北部を震源とするM5.9の地震があった。最大深度は6強。現在のところ大きな被害の情報は入ってきていないが、1995年の阪神淡路大震災以来となる大型地震に肝を冷やした(筆者の住む伊丹では震度5弱)。

弊社の営業は通常通り再開しているが、業務も手に付かないので、地震予測についての雑感をまとめる。

東京大学名誉教授の村井俊治博士らが研究している、電子基準点(GPSによる地表面の3次元的な動きの測量)を用いた地震の予測がある(この技術には品質工学のMTシステムも併用されているとのこと)。2万人以上の読者がいる地震予測のメール配信サービスや、著書「地震は必ず予測できる!」、週刊ポスト2018/5/4号の記事などでご存じの方も多いかもしれない。

いつどこでどのくらいの地震が発生するかの正確な”予知”は不可能としても、危険なエリアや可能性を示唆する地震の”予測”なら可能かもしれないと、社会的使命で難しい課題に取り組んでいる(地震学者などの専門家とは異なり、国等からの研究費の支援はなく、メルマガ等の収入で賄っている)。

画像は週刊ポストの特集記事に掲載されたAI地震予測MAPである(著作権の都合上、必要部分以外は粗くしています)。


「なんだ、大阪の地震は当たってないじゃないか(6段階中レベル2のエリア)」と思われるだろう。確かに、気の毒なほど当たっていない。またこのような予測をセンセーショナルに書き立てて雑誌の売り上げを稼ごうとする出版社の態度が気に食わないという人もいるかもしれない。

この結果を見て「やっぱり地震の予測は無理だ」というのはとても安易な態度である(過去なら核の平和的利用、現在進行形なら自動運転などに置き換えてもよい)。また専門家自身も「予測はできない、メカニズムの研究に集中する」と言っておいたほうが予測できなかったことに対する非難を避けやすい(多くの専門家=地震学者は血税で研究費を賄っている)。

地震予測の進歩や実用化が難しいのは事実である。それには3つの側面あるようように思われる。以下はその難しさを説明しながら、我が国は、新しい地震予測の可能性を排除すべきでないという論を展開するものである。
※村井博士の研究は例として述べるまでで、特定の研究を擁護する意図はないことを断っておく。

1つめは予測そのものの難しさである。地震はカオス的な現象であるため、地震学者(主に目に見えない地下の動きを研究)はすでに匙を投げている。しかし現象がカオス的であるからといって、まったく法則がなにもないわけではない。個々の事象が全く予測できないランダムな事象でも、そのマクロなふるまいは予測できるというのが統計学の教えるところである。現状では地震を予測するパラメータが足りない、まだ見つかっていないだけと考えるほうが健全である。従来の地震の研究にこれ以上血税をつぎ込むのは正しくないのかもしれない。しかし難しいからできない、新しいこともやらないというのでは科学技術の進歩は望めないのである。村井博士の研究は、従来とは異なった前述の電子基準点のデータを使用している。これがベストだとかそういうことを言いたいのではない。今後ほかのアプローチも出てくるだろう。新しい技術の可能性を排除する必要は全くない。問題は実現可能性と、それが達成できたときの効果、研究開発に要する費用の見積もりである(現状、新技術による地震予測に対して国の予算はついていない)。

2つめは予測と結果に対する評価の難しさである。正確言えば数値による評価は可能であるが、それを受け止める側の感じ方の問題である。例えば地震予測においてエリアや期間を区切って、ある震度以上の地震が起こる平均確率が1/1000であったとしよう。つまりデタラメに予測した場合の的中確率は1/1000である。デタラメな予測にくらべて100倍も精度の高い”すごい”予測技術ができたとしても、1000回中100回”しか”当たらないのである。もともと発生確率が少ない現象の予測なので、相当予測精度が上がっても、やはり外れる「回数」はとても多いのである。これは感覚的には「ぜんぜん当たらい」と感じる。しかし10回のうち1回でも巨大地震の予測が当たれば多くの犠牲は避けられるのである。前述の村井博士は著書で「私たちは予測が外れることを恐れない」と言っておられる。大地震の予兆が出ているのに発表せずに多くの犠牲が出ることを避けなけなければならないと考えているからだ。受けて側が外れた回数にミスリードされて批判すると、発信者側もコトナカレ主義に傾きがちになる。回数や確率ではなくコストによる損得計算の方法が必要である。10%の実害による損失よりも、90%の取り越し苦労のコストは十分小さいはずである。
なお、そもそも当たっていない=有意でないものを当たったと吹聴しているようなもの、まったく計算が間違っているのに当たったというもの等は論外である。地震予測研究も玉石混交である。このようなことは、データのねつ造などが無い限り、統計的な検証で容易に真贋を確かめられることは付け加えておく。
(※文中の数値説明のための仮定の数値)

3つめの要因は多様であり下名の知識や文章力では整理しきれないのだが、各方面からの研究開発への停滞圧力である。たとえば科学技術コミュニティの内外におけるコミュニケーションギャップ、権威に対する過信、新技術に関しての過度な恐れ、あるいは既得権等による研究開発の停滞である。「専門家ができないと言っている」「予算の無駄づかいだ」「危険だ」「社会的合意が得られていない」「既存の利益を侵害する」等の理由でさまざまな分野の科学技術の研究が停滞している(遺伝子、医療、核など)。地震予測についても、専門家である地震学者が匙を投げており、国も新規の地震研究に対して研究費を予算化することに及び腰になっているのである。しかし専門家があきらめるのは勝手だが、「できない」ことを証明したわけではないのである。理由2でも述べたとおり、世論やマスコミや政府の中で「当たらない」という印象が強まってしまえば、「地震予測はムダ」という合意が形成され、仕分けの対象にされてしまうことも避けられない(新技術による地震予測にはもともと予算はついていないが)。地震予測の研究は、スパコンのような国際競争とは異なり、地震大国であるわが国固有の問題としてその是非を考える必要がある。

現在実現されている便利な世の中は、このような過去の科学技術に寄与した研究者やエンジニアの功績、それにリスクを受容してきた世論によって支えられていることを忘れてはいけない(もちろん、科学技術の負の側面を無視するわけではない)。計測技術やそれを扱うデータエンジニアリング(AI等)は日進月歩である。地震予測についても実用に足るような予測用の観測データや観測技術、解析技術が生まれる可能性は今後まだまだあると感じている。建築物や社会インフラの安全性・堅牢性、避難場所や経路、食料品やエネルギーの備蓄、国際協力等の対策とともに進めていくべき課題である。

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2 件のコメント:

つるぞう さんのコメント...

本予測手法開発者のお一人と昨日お話ししましたが、週刊ポスト紙上の予測はその時点でのもので、最新のデータでは大阪は危険区域になっていたそうです(私はそのデータは確認してませんが)。刻々と状況が変わるので、最新情報はJESEAの有料メルマガで確認できるとのことです。

伊牟田勝美 さんのコメント...

初めてコメントさせて戴きます。

新規の開発は、「失敗したからやめろ!」と言われがちですが、それを安易に受け入れるべきではない点では同意します。
ですが、逆に、「新しいことには失敗はつきものだ。継続こそ成功への道だ」とも言えませんよね。
地震予知についても、失敗したことを根拠に否定したり、逆に失敗を安易に享受することはいかがなものかと思います。
私は、素人ながら地震予知を実現できないかと考えていました。
その結果、いくつかのハードル(条件)が存在することに気付きました。核融合におけるローソン条件のようなものです。
その条件に当て嵌めると、村井氏の手法(AIを含む)では地震予知を実現できないことが分かりました。
JESEAの地震予知は、日本の7~8割を危険地域としており、かつ地震の頻度が高い場所は漏れなく含めています。それ故、当該地域の地震発生確率は元々8~9割程度あり、JESEAの地震予知成功率とほぼ同じです。
これでは、高い成功率は、単にマグレ当たりでしかなく、「成功」「失敗」だけでは、正しい評価はできないと思います。
同様に、「停滞圧力」に阻害要因を求めるのも言い訳に過ぎず、地震予知を実現するための科学的な本質部分を考えていない証拠になろうかと思います。
地震を予知するためには何が必要なのか、どんな条件を満たせば実現できるのかを真剣に考えれば、個々の地震予知の正当性も、国家レベルの地震予知への支援の要否も、判断できるはずです。
ちなみに、私が気付いた地震予知の条件で考えると、一般に言われる地震予知は不可能と考えた方が良さそうです。

私自身、新しいことに挑戦していますが、どうしても自分には甘くなりがちです。
自嘲を込めて、本質的な部分で評価をするべきと思いますが、いかがでしょうか。

いきなり失礼なコメントを書いてしまい、御容赦の程、お願い致します。