2006/07/02

科学の壁、あるいは井の中のカガク

大型連休ともなると何十万人が海外旅行に行く時代になって久しい。それでも比較的単一な民族・文化を持つ日本人にとって、初めてあるいは久しぶりに外国に行くと「ああ、自分は日本人なんだなあ」と気づくことができる。つまり、「外国」という世界があり、そしてそれを見聞きし、「日本」を相対化することで初めて日本がなんたるか、日本人とは何者なのかを知ることができる。

 我々は「科学」という非常に強固に社会(学問、経済、政治、マスコミ、義務教育・・・)に組み込まれた考え方(パラダイム)の中に生きている。科学的なモノの見方が幼いころから刷り込まれているので、その考え方の枠組みを相対化してモノを見ることが非常に困難になっている(そのような人はそのことを自覚することすら難しいのであろうが、科学がほかの考え方に対しての絶対的な優位性を持っているわけではないことの説明は類書に譲る)。なにしろ、科学以外の考え方を合理的に相対化して考えようとしても、やはり「科学的」に考えざるを得ないのである。つまり、普通は「科学」を相対化するための「外国」に当たる考え方がないと考えられている。

 品質工学の考え方はまさにこの科学的枠組みの「外国」を提示するパラダイムであろう。科学的なモノの見方を問題にすること自体が困難になっている現在、それを相対化して、場合によってはそれを批判する品質工学の見方が受け入れられるのは、上記の理由からまだまだ先なのかもしれない。その外側にほとんど考えをめぐらせることができない内側がパラダイムと言われるものなのであり、それを意識、自覚することは(特に「科学」の場合は)難しい作業である。このことは、「外国」を知らない人からすれば、科学を批判することは即「アヤシイ宗教」を意味すると考える人ということから容易に推測される。

 「外国」の存在を示しその有用性を訴えたからといって、「日本」(元のパラダイムである「科学」)が不要であるとか有効でないと言っているわけでないのであるが、なにしろ現状では「科学」に匹敵するほど、社会制度を挙げての投資と保護を受けている考え方は他にないし、またサラリーマンほど保身と同調の生き物はいないのだから、井の外の考え方を唱える者は「異端」「村八分」の扱いになっても仕方がないのかもしれない。しかし大勢は従来思考とはいえ、近年の品質工学の動きは拡大の一途を遂げているのは事実であるし、少しずつ時代は動き始めているのであろう。

 最後に、「外国」を語る上で気をつけるべき点としては、今以上に「日本」(つまり科学的なあらゆる手法や考え方)を知ることと、他にも「外国」があるかもしれないという点を忘れないことである。自分のいる場所が唯一の「外国」と考えた瞬間、それはすでに他に考えが及ばないことを意味するのだから。

(参考文献、石井励 メールマガジン「ポストモダンでいこう」)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

つるぞうさん 久しぶりですね、
私も外国へ行く機会が多いので感じることは文化と人間のモノコトに対する感覚的な違いに戸惑うことがありますね。最近は麻痺してきてあまり感動することがなくなってきたことが問題ですが、それでも吃驚するような事態に遭遇することがありますね。
従来の科学的思考と品質工学の技術的思考のパラダイムの違いは確かに大きいですが、この違いを強調しても余り意味が内容に思います。時代の変化や顧客の要求で自然に変化するものと考えています。企業の中堅クラス以上の方は従来の考え方で仕事をされてきたのですから急には変わらないのでしょう。頭では理解できてもDNAが変わらない限り無理というものです。先日の品質工学研究発表大会で経済産業省の役人(審議官)と話をしたときに彼は話としては理解できるが考え方を変えるのは時間がかかるといっていました。
私が50歳から変わったと言ってY先生は宣伝されていますが、本質的に変わったのか疑問ですね。私の発言が過激なのは分かっていない証拠かもしれません。

匿名 さんのコメント...

更に追加すると貴方が最後に言われていたようにこれしかないとかこれが最高だと思った瞬間に「バカの壁」が出来るのでしょうね。
品質工学を越えられるのは田口玄一しかいないのですから、全く別な観点から未来を予測することを考えることが貴方方若者の仕事ですよ。

つるぞう さんのコメント...

Kazz先生

いつもありがとうございます。
「時代の変化や顧客の要求で自然に変化するもの」とはおっしゃるとおりです。一個人や小さな組織の活動ではコップで大海を渇かすようなものですが、それでも今できることを一歩一歩やっていくしかないと思っています。少なくとも、先生や関西の研究会のメンバからいつも刺激をいただいており、今のところまだ「元気」です。
「違いを強調しても余り意味がない」のかもしれませんが、逆に言えばこのようなBlogの場でしか吠える場所がない、ということでお許しを。。