2009/10/17

教える側の責任

 自分が多少なりとも体得したところによると、品質工学は実践の学問であり、これはいわば自転車に乗るようなものであると思っている(スキーでも水泳でもいいのであるが)。

 品質工学の数理やパラメータ設計の分析をいかに説明しようとも、聞き手が実践し体感したものでなければ品質工学がどういうものかはピンとこないと思う。ちょうど、自転車の載り方を教えるのに、自転車の材料や構造、機構について説明しても、それを乗りこなすことができないのと同じである。自転車は自分で乗ってみて失敗しながら練習を重ねてこそ乗れるようになるのである。

 一方、速く走れて、丈夫で軽い自転車を作ろうとする、自転車の開発の側に立ってみると、これは材料や構造の知識が必要である。品質工学でも、品質工学自身を研究する立場であれば、数理の理解は避けて通れない。

 しかし、自転車の乗って便利に生活したい、サイクリングを楽しみたいという程度で品質工学と付き合い、業務に役立てようとすれば、数理は計算機に任せて、うまく乗れるようになるまで経験者にアドバイスを受けながら体得すればよい。

 大切なことは、普及・教育側としても、自転車の材料や構造を説くのではなく、サイクリングの楽しさを説くように、品質工学の成功事例を紹介して、その便利さや成果をアピールすることで、聞き手にも「乗ってみたい」という気にさせることができるのではないか。

 品質工学の数理や哲学に傾倒した説明が多い現在、普及・教育側の発想の転換が求められているのかもしれない。つまり、品質工学を研究開発する立場での説明は無用で、いかに成果を出すための方法を伝授できるかである。

(かといって、このブログに関しては、独自色を出したいので、入門者向けの易しく教える巷のページにする気はないのであるが。。。)

 品質工学に限らず、その道の達人と広める人とは別であることが多い。達人が極めたワザを、万人が理解できるように翻訳して指導や普及する役割が(特に企業では)大切だ。現時点では、1つの企業で品質工学を志す者はそう多くはないので、道を極める人と広める人が同じという点にどうしても無理があるように思える。

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