田口博士の「品質工学会の役割は、品質工学を定義することです」なる課題は、品質工学会(以下RQES)発足時の田口博士の言葉であり、現在もなおRQESの活動のより所となっているようである。
この言葉の真意について、下名は以下のように考えるようになった。まず、どんな学会でもよいが、たとえば物理学会が、物理学の定義をその目的とすることはない。物理学とは何かが定義された上でそれについて研究するものが集うのが物理学会であろう。なので、学会外部の定義によりある程度明確なものを、その名称をもつ学会で定義する、しかもそれが自己目的化するというのは、循環論法である。田口博士がそのような無意味な発言をするとは考えられない、真意は何か?というのがこの論考の主題である。
現在のRQESにおいては、田口博士が意図したことを忠実に実践・検証していくことに重きが置かれている。第一レベルでは田口博士の提案した方法論(これをタグチメソッドと言ってもよいがMTシステムも含めてよい)の実践と検証であり、第二レベルではその方法論を逸脱しない範囲でブラシアップする評価技術の改善、第三レベルではマネジメントを含めた社会への品質工学の実装とそれによる社会的損失最小化への貢献、であろうと思われる。
しかしこの枠組みではすでに「品質工学」とは「田口博士の提案した方法論で、その内容は云々」という定義から外に出ることはなく、教科書的には定義は自明なのではないかと思われる。MTシステムに代表されるように、方法論がカタログ的に今後も増えていくことはあるだろうが、「田口博士の提案した方法論」枠組みは変わらない。
よってこの方向性を続ける限りは、田口の方法論として(少なくとも形式的には)自明なものをその名称をもつ学会で定義するというのは、冒頭で述べたように循環論法になっている。ここが疑問の種である。
一方、田口博士の提案した方法論をたたき台としてもっと上位の目的、つまり田口博士ありきではなく、よりよい(「よさ」の定義も含めて)品質評価技術の確立という目的に向けて研究していくのが、田口博士個人を超えたRQESの目的だ、という方向性も考えられる。
そこで必要になるのは、田口博士の提案とそれ以外の提案を比較するための、評価技術の評価技術(メタ評価技術)である。この場合、従来田口博士が提唱してきたところの品質工学の範囲を広げて考えることになるので、RQESで新たに「品質工学を定義すること」を議論することに意味が見出せ、それはとりもなおさず新しい評価技術へのさらなる進展であり、メタ評価技術の創出になっていくのではないだろうか。
この方向性をもってしても、田口の哲学である社会損失の総和の最小化の哲学や、ましてや田口博士のこれまでの輝かしい実績が否定されることはないと思うのであるが、いかがであろうか。
#念のため注意:ここでは、下名らが提唱するエネルギー比型SN比がその新しい評価技術を担うなどと論じるつもりはない。よい評価技術とは何でそれを判断する枠組みや、そのような議論が出来る俎上がまず設定されるべきではないか、という論である。
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