2014/12/13

京都紅葉(広隆寺~法金剛院~北野天満宮~下鴨神社)

11/24は広隆寺の途中で終わったので、11/29は一人で京都を訪ね、紅葉狩りの続きを。一人ということもあり、以前から気になっていたマニアックなスポットも探訪した。

京都は紅葉のベストシーズとあり、前回の嵐山界隈は大賑わいであったが、太秦にある広隆寺、それに次に行った花園の法金剛院は驚くほどの静けさ。少し中心をはずすとシーズンでも空いているところはいくらでもある。

さてその広隆寺。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。さて以下はマユにつばをたっぷり付けて読んでいただきたい。
サイト「日本伝承大鑑」より抜粋して引用。

秦氏は秦の始皇帝を祖とする一族であると名乗り、最初に日本に来た者は弓月君<ゆづきのきみ>としている。14代仲哀天皇の時代に弓月国から使者が来たとあり、それが秦氏の先祖であるとされているのである。その弓月国こそ、シルクロードを経由してユダヤの末裔が建国した“原始キリスト教の国”なのである。そして彼らが最終的に本拠地とした太秦も【大秦】の文字をはめたのだろうという説がある。【大秦】とは、【ローマ】の漢字表記である。

この太秦の地の土地神としてあるのが大酒神社である(祭神は始皇帝・弓月王・秦酒公)。元々この神社は広隆寺の寺内社であったのだが、明治の神仏分離政策で分離させられた。この神社の名であるが、現在では【大酒】(おおさけ)となっているが、かつては【大避】(おおさけ)あるいは【大闢】とされていた。この【大闢】は中国では【ダビデ】を意味する。つまり、この神社の名前はユダヤの王を表しているのである。これが太秦における【日猶同祖論】最大の拠り所とされている部分である。日猶同祖論とは日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔である、という気宇壮大な思想である。

さらには、広隆寺の西側の脇にある細い道を入っていくと、「いさら井」という井戸がある。“いさら井”は“イスラエル”がなまったものという。

さて、日本古代史にロマンを馳せたあとは、徒歩で法金剛院へ。わりと広い境内に観光客は下名を含め3人(3人ともカメラを首から下げた男性だった)。ここは静かで紅葉や池に映る山や空が美しいのでおすすめである。

さらに歩を進めて北野天満宮へ。さすがの人出であったが、銀杏と紅葉が青空に映える。その後バスで出町柳に移動して、下鴨神社へ。糺の森をゆっくり歩きながら、最後にはにわか雨と虹にも出会えた。




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