2006/02/25

ノイズ -M夫妻への結婚のお祝いの言葉に代えて-

 もう昨年になるのだが、大学時代のサークルの後輩同士がゴールインしたということで、サークルの機関紙にお祝いの言葉として贈った文章を一部掲載する。品質工学の考え方になぞらえたものである。

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 まずは、S君、Tさんおめでとうございます。 M夫妻はしっかりしておられるので、今さら結婚式での訓示のようなことを言うのはおこがましいのですが、社会人、家庭人の先輩としてアドバイスをひとくさり言わせてください。 これから家庭生活だけでなく、社会人として、日本国家の成員として生きていく上で決して道のりは平坦ではないと思いますが、まず確認しておきたいのは「自分以外の人(⊆法人、国家)はずべてノイズだ」ということです。これはちゃんと説明しないと大きな誤解を招くおそれがありますね。よく言われることですが、「人の考え方や行動を容易に変えることはできない」ということです。特に40歳以上になるとひどいものですね(私もそろそろそちらの仲間入りですが・・・)。もちろん、考え方や行動が変わることもあるのですが、「三つ子の魂100まで」というように、歳をとればとるほど本人の努力でもなかなか変われないものです。ましてや他人に言われたくらいで変わるはずもありません。これは社会に出て自分の考えや新しいやり方を通して行こうとした時に必ず阻まれる「文化」「慣例」「経験則」「現場のしきたり」などという壁に当たることで知ることになります。程度の差こそあれ、結婚というものも、もともと他人同士が一緒になるわけですから「育ってきた環境が違うから価値観は否めない♪」わけです。「いとしの配偶者がノイズだなんて!」と怒られるかもしれませんが、やはり長い目で見れば「個」と「個」がぶつかる局面が必ずあるわけです。これは血がつながった家族(親子)なんかでも同じです。前置きが長くなりましたがまず「自分以外はノイズ=基本的にはコントロール不能なもの」ということを押さえておきます。

 さて言いたいことはこれからなのですが、これから家庭生活、社会生活を送っていく上でうまくいく考え方というかアドバイスをこれまでの経験から言いたいと思います。今は順風満帆でも5年、10年後に何かあったときのための1アイテムとして聞いておいてもらえればと思います。それは一言で言えば「あてにしない」ということです。「妻や夫としての役割をあてにしない」「会社に昇進や明日の雇用をあてにしない」「国家に年金や安全をあてにしない」「銀行に元本保障をあてにしない」「親に遺産をあてにしない」「子供に老後の介護をあてにしない」「会社の他部門の計画をあてにしない」「石油が輸入できることをあてにしない」・・・いくらでもあります。あてにしなければ「裏切られた」「こんなはずじゃなかった」「自分はちゃんとしていたのに○○のせいで」ということもないわけです。じゃあ、何もあてにしないで一体どうして生きていくんだということになりますが、これも一言で言えば「あてにしない前提で生きていける自分とその環境を創っていく」ということなんです。コントロールできるのは自分の考え方と行動だけですから。その対極にある考え方は、いろんな不測の事態に対して責任を外部に転嫁する、それをコントロールしようとするということでしょう。これは非常に疲れますし、非生産的です。ブルーになりますし、血圧も上がります。 自分が自分以外をあてにしないからと言って、相手からあてにされない態度をとるべきだとは言いません。むしろ、自分がよいと思うことは相手に対して「見返りをあてにせず」どんどんやっていくことが重要です。自己満足でも大いに結構。夫婦がお互いにそのように振る舞い、それぞれは1個の「人」同士として生活して行ければ、そのなかで家庭生活は安泰なのです。会社でもそうです。株主の利益のためでもよいし、お客様のためでもよいしですが、よいと思う信念に基づいて貢献してゆけばよいのです。国家に対しても同じです。このサークルもそうですね。

  品質工学と従来の他の手法との最も大きな考え方の違いは、外乱となるノイズを消そう・減らそうというのではなく、現にここにあるノイズからの影響を受けにくくなるように設計することなんです。これをロバストネス(頑健性、技術の安定性)と言っています。これまでのQCや信頼性工学の手法というのは、ノイズの原因を調べてそれを減らす対策を後始末的(火消しともいう)にやっていたのですが、別の未知のノイズに対しては不具合がでるまで対策できません。これが市場で発生したらリコールとかで大変なんです。品質工学の方法がよいのは、ノイズは直しにいきませんので、ノイズに対して安定にしておけば、未知のノイズや今は印加されていないノイズに対しても安心ということなんです。 ここまで言えばなぜ品質工学の話を引き合いに出したか分かってもらえたと思いますが、人生の場面においても、いろんな不測の事態に対してその度におろおろしたりイライラしたり、コントロールできないものをなんとかしようとするのではなく、自分自身が頑丈になるのが大事なのだと。そのための努力と準備を自分の責任でしておくのだと。「あてにしない」ことなのだということなんです。だから究極的には、「自分以外はずべてノイズ」ぐらいに考えて行動しておけば、精神衛生上非常によく、鬱や高血圧を回避できるのです。(もちろんこれは総論ですので、実生活では”あてにできるもの”は確率の範囲で見込んでおくのですが)。

 若いうちは社会に出ても最初は充電期間であるため、がんばりに対しての経済的な対価は大きいものとは言えません。私も「なんでこれだけやっているのに、こんな給料が安いんだ」と思ったものです。そういう意味では仕事をするときにはできれば好きなことをやってほしいと思うのです。お金とは面白いもので、若いときには上司先輩から言われた仕事が大半で、忙しく働いているときには身入りが少ないのですが、ある程度中堅になって自分で仕事が作れるようになってくると今度は仕事が面白くなってきて、お金はあまり気にならなくなる。そうすると、いつのまにか「プロ」と呼ばれる人たちに近づき収入や昇格なんかも後でついてくるのです。先ほど「会社を当てにせず」とか「見返りを求めず」と言いましたが、これができるためには「好きなこと」をやるということに尽きるのではないでしょうか(もちろん上司に恵まれるかどうかという要因が大きいのですが)。同様に家庭においても同様に「プロの夫・妻」「プロの親」とは何かを考えて行動することになりますね。

末永くお幸せに。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も女房や子供に対してノイズだといったことがありますが、ノイズという言葉は相手にとっては心地よい言葉ではないようですね。
心の中ではノイズだと考えていればよいことで言葉に出すことは控えた方がよいと思います。
品質工学でノイズといっているのは自分では制御できないものという意味で使っていますが、人間関係では邪魔者とか悪いものという意味ではなく、自分と考え方や立場が違うものと考えればよいと思います。相手の言葉や立場を尊重して、相手の考え方を理解しながら受け入れて自分の考え方を説明することが大切だと思います。いきなり否定したり説得しようとしても、相手は反感を持って逃げるだけで分かってもらえないですね。ノイズに強くなるためには大変な努力が必要ですね。
企業においても、「出世など考えなくてもよい」とか「品質工学をやっていると出世を考えるな」とか言われる先生がおりますが、目的を明確にして、相手の共感が得られるような行動をとらないと品質工学の普及も難しいと思います。