2006/02/25

損失関数と限界効用

 今回は結論のない話で恐縮だが、今後の問題提起として述べたい。

 機能限界での損失を定義し、目標値からのずれの2乗で損失が増加する損失関数のモデルはそのバックボーンとなる数理や、内在する損失のモデルの考え方からして、ロジカルに見える。しかしオンライン品質工学や許容差設計をやってみると、合理的に決めたはずの許容差や、工程チェック間隔・修正限界が現場の感覚として、受け入れがたい(ほとんどの場合過剰に見える)という現実がある。合理と感覚の違いで後者は思い込みである、というのは簡単であるが、はたして損失関数の考え方は、合理であっても妥当なのであろうか。

 全く別の話になるが、人はなぜ期待値が原資を割ってしまうことが明確な宝くじを購入したり、掛け捨て保険に加入するのであろうか。これについては、経済学で「限界効用」というテーマで古くから研究があり、要するに経済的に同じであるはずの1円(1万円でもよい)の効用(満足度、損失の場合は苦痛)は一定ではないということである。多くの人にとって宝くじの1等で手にする賞金は普通の生活の延長線上ではない生活ができるという意味で、特別なものである。限界効用の考え方は、普通に手に入れられるお金と、宝くじでしか手に入らないお金とでは全く違う価値を持っていると考えているので、期待値が明らかに原資を割ってしまうような宝くじを購入するのである。保険についても、多数の人から原資を集めて特定の者(こちらは幸運ではないが)に保険金が支払われるという意味で構造は同じである。今これをご覧になっている読者も、ほとんどある種のくじの購入や保険の加入の経験があるだろう。こう考えて見ると、現実には経済的合理性だけで物事が決定されるものではないと言ってもよいだろう。

 損失関数のシンプルなモデルは、古典経済学で考えるような1円はいつでも1円という考え方に、ある意味でのナイーブさを表してはいないだろうか。現場で今手にする1円、失う1円と、製品が市場に出てから(さらに何年も経ってから)の1円は同じだろうか。 製造業に限らず、経済活動、経営活動は生身の人間が刻々と判断を行っている(だからサイエンスではなくアートである)。コンピュータには経営はできない(経済性ONLYの投機活動はできるのかもしれないが)。この点は考慮には値するだろう。

 もしかすると的外れな議論かもしれないが、現実に合理の解と現場の感覚に差異が生まれているのだから、あらゆるものを疑ってみる姿勢は必要であろう。まだ思いつきレベルであるが、今後、この場で議論を深めていきたい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

損失関数に対する疑問は今までも聞かれる問題である。許容差の決め方がJIS化された現在でも殆どの企業が使っていないのを見ても分かることだが、社会的損失の最小化を考えて進めているタグチメソッドの考え方からでた「規格値の決め方」は簡単には普及しないのである。工程能力とは逆数の関係になるのだが、根本的に違うのは規格の決め方に問題があるからである。生産者の規格と組立者の規格が異なること事態が分かりにくい考え方である。
今までの考え方が間違っているといっても人間はいろいろであるから考え方を否定された側は面白くないのが人情である。
工程のチェック間隔の決め方にしても品質損失とコストとの和が最小になるという考え方から求めたものだから、従来の部分最適な考え方では理解できない値である。オンラインで問題が出ることは、オフラインの品質の安定化に問題があるのだから、設計問題を見直すことには寄与するのである。それでも問題が出るときは全数検査をするか、工程の検査期間を短縮して品質損失の最小化を図るしかない。

つるぞう さんのコメント...

コメントありがとうございます。

 結局のところ私も含めてですが、損失関数に対する有効な対案が出せていない現状では、損失関数はシンプルでありながらも、最も本質に近い損失を計算できる式ということで認めざるを得ないのでしょう。

 先の議論のように、(お客さんの損失も加味した上で)企業としての限界効用を考えた式にすればもう少し「使える」式になるのかもしれません。将来のお客さんの損失をバランスして考えるということは、製造者とお客の2つのプレイヤーの問題ですから、これはゲーム理論(ナッシュ均衡)の問題なのかもしれません。

 納得できる損失の計算、いろいろ考えているところです。