2009/02/11

易しく教えることが本当に優しいのか

 社内などでの品質工学のアドバイスで、特に初めて品質工学を実施する人に対し て、厳しい優しいの言い方という意味ではなく、どのようなことをアドバイスすればよいのかということが議論になる(昨日今日始めた人に専門用語を連打するのは論外である)。たとえば、自分が「品質工学を」指導してもらう立場なら、品質工学を適用する目的に間違いはないか、とか基本機能やノイズ、SN比の考え方は正しいか、といったことは非常に重要に思える。

 アドバイスをする側の責任は重大で、最初にはしごをかける場所を間違えてしまう と、いくらはしごの上に到達したところで、まちがったところに到達してしまうだけであろう。品質工学の目的や1つ1つの方法論の考え方の基礎が間違っていないかどうか、そこをアドバイスすべきなのだと思う。

 品質工学は理想が高いと煙たがれることもある。確かに、現実問題ではすべて品質工学の理想どおりにはことは運ばないだろう。いつでも現実的な解という結論は必要である(固有技術のアイデアやQC的な妥協案はあとでこっそり教えてあげればよろしい)。相手の能力を信頼してあるべき方向にチャレンジさせるのが、相手に対する礼儀であると思う。実際、私はそういう上司に恵まれて今でも感謝している。

 原和彦先生の「ほんまもんの技術者」の最後のくだりにある、富士通の細川氏の言 葉「理想を目指して技術開発を行うのと,妥協を目指して技術開発を行うのでは結果 に大きな違いが出てくる」ということが真実であると思う。最初から理想を放棄して議論すれば、 結局はまちがった屋根に上ってしまうのではないだろうか。 「品質工学の理想は高いけれど、まずはこの程度でも考え方を取り入れてみよう」 という具合に、考え方の原則を踏まえた上で、少しずつでもうまく正しい方向に導ければ、それを繰り返していくうちに、難しい理想にもいつのまにか近づいていくのではないか。

 たった10年間ではあるが、品質工学を実践してきてそう信じるものである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

つるぞうさん
久しぶりの発言ですね。ブログや掲示板を続けることは結構大変ですね。貴方は自信があるから自分のレベルで発言しようと考えているから難しいのだと思います。世の中のレベルで当たり前のあるべき姿を載せれば皆さんも発言されるようになると思います。
今回の発言は大分易しくなって読みやすくなりましたね。